菊池武夫
ナビゲーションに移動
検索に移動
- きくち たけお
- 菊池武夫
- 陸軍中将正三位勲二等功四級男爵
- 歩兵
- 士候7 陸大18
- 熊本県
- 明治8年7月23日 - 昭和30年12月1日
経歴
明治8年7月23日 | 生[1] |
明治29年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候7) |
明治30年1月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治34年10月 | 陸軍大学校入学 |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治39年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第18期) |
大正3年8月25日 | 支那政府応聘 |
大正6年8月6日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正8年3月31日 | 私費留学(欧洲) |
大正9年3月15日 | 帰国 |
大正9年8月10日 | 歩兵第64聯隊長 |
大正11年8月15日 | 陸軍少将・歩兵第11旅団長 |
大正13年8月20日 | 奉天特務機関長 |
大正15年3月2日 | 第5師団司令部附 |
昭和2年3月5日 | 任陸軍中将[1]・参謀本部附 |
昭和2年7月20日 | 依願予備役[1] |
昭和6年11月28日 | 貴族院議員(男爵議員) |
昭和13年4月1日 | 後備役 |
昭和14年11月9日 | 貴族院議員任期満了 |
昭和15年5月 | 熊本県菊池郡隈府町長 |
昭和16年4月 | 財団法人興亜協会理事長・興亜専門学校長 |
昭和20年12月 | A級戦犯容疑で逮捕 |
昭和21年8月 | 釈放 |
昭和30年12月1日 | 薨去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治41年10月30日 | 叙正五位 |
明治44年5月26日 | 勲四等瑞宝章[2] |
大正7年5月10日 | 叙従四位 |
大正8年5月 | 男爵(襲爵) |
大正9年時点 | 勲三等瑞宝章 中華民国三等文虎勲章[3] |
大正12年6月11日 | 叙正四位[4] |
大正12年時点 | 勲三等旭日中綬章[5] |
昭和2年8月15日 | 叙従三位 |
昭和7年10月1日 | 朝鮮昭和五年国勢調査記念章 |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[6] |
昭和9年時点 | 勲二等瑞宝章 中華民国二等文虎勲章[1] |
昭和12年9月1日 | 叙正三位 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[7] |
昭和19年1月15日 | 七十歳ノ高齢ニ付御紋附木盃並ニ酒肴料下賜 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月8日(土曜日)
- 官報第2668号 昭和10年11月22日(金曜日)
- 官報第3417号 昭和13年5月27日(金曜日)
- 官報第5100号 昭和19年1月17日(月曜日)