藤井洋治
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- ふじい ようじ
- 藤井洋治
- 陸軍中将
- 歩兵
- 士候19 陸大28
- 広島県
- 明治20年10月5日 - 昭和20年8月6日
経歴
明治20年10月5日 | 生 |
明治40年5月31日 | 陸軍士官学校卒業(士候19) |
明治40年12月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正2年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
大正5年11月25日 | 陸軍大学校卒業(第28期) |
大正11年8月15日 | 任陸軍歩兵少佐 |
大正11年12月28日 | 補陸軍大学校兵学教官兼参謀本部部員[1][2] |
大正15年8月6日 | 任陸軍歩兵中佐 |
昭和2年7月26日 | 補歩兵第11聯隊附[2][3] |
昭和3年8月10日 | 補天津駐屯歩兵隊長[3] |
昭和5年8月1日 | 任陸軍歩兵大佐[4]・第1師団司令部附(早稲田大学服務) |
昭和7年2月10日 | 早稲田大学服務ヲ免ス 補歩兵第37聯隊長 |
昭和8年8月1日 | 第16師団司令部附(京都帝国大学服務) |
昭和9年9月17日 | 留守第16師団司令部附(京都帝国大学服務) |
昭和10年8月1日 | 陸軍少将・歩兵第19旅団長 |
昭和12年3月1日 | 補近衛師団司令部附 |
昭和13年7月15日 | 陸軍中将・留守第1師団長 |
昭和14年10月2日 | 第38師団長 |
昭和16年6月20日 | 中部軍司令官 |
昭和17年8月17日 | 待命 |
昭和17年8月31日 | 予備役 |
昭和18年11月 | 参謀本部附 |
昭和20年4月1日 | 補広島師管区司令官(親補) |
昭和20年6月15日 | 補中国軍管区司令官(親補) 補第59軍司令官(親補) |
昭和20年8月6日 | 広島原爆で死亡 |
栄典
大正10年6月30日 | 叙従六位[5] |
大正15年8月2日 | 叙正六位 |
昭和9年4月29日 | 賜金、昭和六年乃至九年事変従軍記章[6] |
昭和10年9月16日 | 叙正五位[7] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第4197号 大正15年8月19日(木曜日)
- 官報第1533号 昭和7年2月12日(金曜日)
- 官報第3046号 昭和12年3月2日(火曜日)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第75号 昭和20年4月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120938500
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第139号 昭和20年6月16日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120961100