記録勇助
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- きろく ゆうすけ
- 記録勇助
- 陸軍少将従四位勲三等
- 砲兵
- 士候10 砲工高10 陸大22
- 大分県
- 明治9年10月26日 -
経歴
明治9年10月26日 | 生 |
明治31年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候10) |
明治32年6月27日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治35年12月22日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第10期) |
明治40年12月10日 | 陸軍大学校入学 |
明治43年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第22期) |
明治44年11月22日 | 任陸軍砲兵少佐 |
陸軍重砲兵射撃学校教官 | |
大正2年8月22日 | 補重砲兵第1聯隊大隊長 |
大正3年8月10日 | 補重砲兵第4聯隊大隊長 |
大正4年8月10日 | 補芸予重砲兵大隊長兼芸予要塞司令官 |
大正5年5月2日 | 俘虜情報局事務官被仰付 |
大正6年2月12日 | 陸軍砲工学校教官兼勤被仰付 |
大正6年3月31日 | 任陸軍砲兵中佐 |
大正6年5月2日 | 補陸軍砲工学校教官 参謀ト心得ヘシ |
大正7年7月24日 | 補旅順要塞参謀 |
大正9年8月10日 | 補野砲兵第7聯隊長[1] |
大正9年12月1日 | 任陸軍砲兵大佐 |
大正12年8月6日 | 陸軍運輸部附被仰付 |
大正13年4月15日 | 第8師団参謀長 |
大正14年5月1日 | 任陸軍少将 補陸軍運輸部附 |
大正15年3月2日 | 待命 |
大正15年3月22日 | 予備役 |
昭和10年4月1日 | 後備役 |
昭和14年4月1日 | 退役[2] |
栄典
明治39年4月1日 | 勲五等双光旭日章 賜金600円 明治三十七八年従軍記章[3] |
大正9年6月25日 | 勲三等瑞宝章 |
大正15年4月21日 | 叙従四位(特旨)[4] |
昭和6年5月1日 | 帝都復興記念章[5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正6年9月1日調
- 官報第321号 大正2年8月23日(土曜日)
- 官報第609号 大正3年8月11日(火曜日)
- 官報第908号 大正4年8月11日(水曜日)
- 官報第1124号 大正5年5月3日(水曜日)
- 官報第1358号 大正6年2月13日(火曜日)
- 官報第1398号 大正6年4月2日(月曜日)
- 官報第1424号 大正6年5月3日(木曜日)
- 官報第1794号 大正7年7月25日(木曜日)
- 官報第2370号 大正9年6月26日(土曜日)
- 官報第2408号 大正9年8月11日(水曜日)
- 官報第2501号 大正9年12月2日(木曜日)
- 官報第3306号 大正12年8月7日(火曜日)
- 官報第3806号 大正14年5月2日(土曜日)
- 官報第2515号 昭和10年5月24日(金曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に12月1日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第3715号 昭和14年5月27日(土曜日)
- ↑ 官報第7036号 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第4116号 大正15年5月15日(土曜日)
- ↑ 官報第2278号 昭和9年8月4日(土曜日)