谷壽夫
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- たに ひさお
- 谷 壽夫
- 陸軍中将従三位勲一等功二級
- 歩兵
- 士候15 陸大24優等
- 岡山県
- 明治15年12月23日 - 昭和22年4月26日法務死
経歴
明治15年12月23日 | 生 |
明治36年11月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候15) |
明治37年2月12日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治42年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
大正1年11月25日 | 陸軍大学校卒業(第24期優等) |
大正7年6月1日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
大正9年10月22日 | 印度駐箚武官 |
大正11年4月1日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
大正11年11月24日 | 歩兵第6聯隊附 |
大正13年2月4日 | 陸軍大学校兵学教官兼海軍大学校教官参謀本部部員 |
大正14年3月18日 | 任陸軍歩兵大佐[1] |
昭和2年3月5日 | 歩兵第61聯隊長 |
昭和3年5月10日 | 留守第3師団参謀長 |
昭和3年8月10日 | 第3師団参謀長 |
昭和4年8月1日 | 参謀本部外国戦史課長 |
昭和4年8月29日 | 参謀本部演習課長 |
昭和5年3月6日 | 参謀本部附(国聯派遣) |
昭和5年8月1日 | 任陸軍少将[2]・国聯空軍代表 |
昭和7年7月5日 | 参謀本部附 |
昭和7年8月8日 | 軍事調査委員長 |
昭和8年8月1日 | 近衛歩兵第2旅団長 |
昭和9年8月1日 | 任陸軍中将・東京湾要塞司令官 |
昭和10年6月20日 | 第9師団留守司令官 |
昭和10年12月2日 | 第6師団長 |
昭和12年12月28日 | 中部防衛司令官 |
昭和14年8月1日 | 待命 |
昭和14年8月31日 | 予備役被仰付 |
昭和20年8月12日 | 第59軍司令官兼中国軍管区司令官 |
昭和22年4月26日 | 南京で法務死 |
栄典
明治37年4月7日 | 叙正八位[3] |
明治38年8月18日 | 叙従七位[4] |
明治43年9月30日 | 叙正七位[5] |
大正4年10月30日 | 叙従六位[6] |
大正9年11月1日 | 賜金2400円 大正三年乃至九年戦役従軍記章 |
大正9年11月30日 | 叙正六位[7] |
大正11年5月31日 | 勲三等瑞宝章 |
大正15年時点 | 従五位 勲四等旭日小綬章 功五級金鵄勲章 大英帝国五等ヴィクトリア勲章 武功十字章 スペイン王国二等陸軍武功勲章[1] |
昭和5年時点 | 正五位 勲三等旭日中綬章[2] |
昭和5年7月24日 | ルーマニア王国1916年乃至1918年戦役従軍記念十字章佩用允許[8] |
昭和8年8月3日 | 勲二等瑞宝章[9] |
昭和9年9月1日 | 叙従四位[10] |
昭和11年10月1日 | 叙正四位[11] |
昭和14年3月23日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和14年9月28日 | 叙従三位(特旨) |
昭和15年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2610号 大正10年4月16日(土曜日)
- 官報第2948号 大正11年6月1日(木曜日)
- 官報第3799号 昭和14年9月2日(土曜日)
- 官報第3827号 昭和14年10月5日(木曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正15年9月1日調
- ↑ 2.0 2.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和5年9月1日調
- ↑ 官報第6228号 明治37年4月8日(金曜日)
- ↑ 官報第6648号 明治38年8月26日(土曜日)
- ↑ 官報第8185号 明治43年10月1日(土曜日)
- ↑ 官報第976号 大正4年11月1日(月曜日)
- ↑ 官報第2500号 大正9年12月1日(水曜日)
- ↑ 官報第1073号 昭和5年7月28日(月曜日)
- ↑ 官報第1978号 昭和8年8月4日(金曜日)
- ↑ 官報第2307号 昭和9年9月7日(金曜日)
- ↑ 官報第2928号 昭和11年10月3日(土曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)