谷田文衞
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- たにだ ふみえ
- 谷田文衞
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 歩兵
- 陸大2
- 徳島県
- 安政2年8月9日 - 昭和5年5月5日
経歴
安政2年8月9日 | 生 |
明治6年 | 大阪鎮台守備 |
明治7年 | 台湾出兵従軍 |
明治10年 | 西南戦争従軍 |
明治10年7月28日 | 任陸軍少尉 |
明治17年2月15日 | 陸軍大学校入学 |
明治19年12月28日 | 陸軍大学校卒業(第2期) |
陸軍省軍務局課員兼臨時陸軍建築部事務官 | |
明治29年9月25日[1] | 陸軍中央幼年学校長 |
明治29年12月3日 | 兼補陸軍将校生徒試験常置委員 |
明治30年10月11日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治31年10月1日 | 近衛歩兵第4聯隊長 |
明治32年3月13日 | 臨時建築部事務官 |
明治34年2月18日 | 第2師団参謀長 |
明治35年5月5日 | 陸軍少将・歩兵第20旅団長 |
明治36年1月13日 | 台湾総督府陸軍幕僚参謀長 |
明治40年2月4日 | 歩兵第10旅団長 |
明治40年11月13日 | 歩兵第22旅団長 |
明治42年8月1日 | 陸軍中将・憲兵司令官 |
明治43年11月30日 | 予備役 |
大正7年4月1日 | 後備役 |
昭和5年5月5日 | 卒去 |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
功四級金鵄勲章 | |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[2] |
明治43年12月20日 | 叙正四位(特旨)[3] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[4] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1947号 明治22年12月23日(月曜日)
- 官報第3976号 明治29年9月28日(月曜日)
- 官報第4033号 明治29年12月7日(月曜日)
- 官報第1712号 大正7年4月20日(土曜日)
- 谷田 文衛とは - コトバンク
- 谷田文衞 (第8版) - 『人事興信録』データベース
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治28年4月4日とあるのは誤り。
- ↑ 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
- ↑ 官報第8251号 明治43年12月21日(水曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)