豊島陽藏
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- てしま ようぞう
- 豊島陽藏
- 陸軍中将従三位勲二等功二級
- 砲兵
- 士官生徒2
- 広島県
- 嘉永5年9月3日 - 大正11年2月8日[1]
経歴
嘉永5年9月3日 | 生 |
明治8年 | 陸軍士官学校入校 |
明治12年2月1日 | 任陸軍少尉 |
明治27年4月23日 | 要塞砲兵幹部練習所長 |
明治28年3月31日 | 東京湾要塞堡塁団司令官 |
明治28年11月26日 | 砲兵会議審査官 |
明治29年10月18日 | 陸軍要塞砲兵射撃学校長 |
明治30年10月11日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治32年10月28日 | 東京湾要塞砲兵聯隊長 |
明治35年5月5日 | 陸軍少将・要塞砲兵監 |
明治36年1月22日 | 兼野戦砲兵監 |
明治37年5月8日 | 攻城砲兵司令官兼第3軍砲兵部長 |
明治38年1月14日 | 独立重砲兵旅団長 |
明治39年3月6日 | 要塞砲兵監 |
明治40年10月9日 | 重砲兵監 |
明治41年12月21日 | 陸軍中将 |
大正1年9月28日 | 待命 |
大正3年1月7日 | 予備役 |
大正11年2月8日 | 薨去[1] |
栄典
明治25年5月28日 | 勲六等瑞宝章 |
明治28年3月28日 | 叙正六位 |
明治28年9月20日 | 功四級金鵄勲章 授単光旭日章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年11月25日 | 勲五等瑞宝章 |
明治30年10月30日 | 叙従五位 |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[2] |
明治35年9月20日 | 叙正五位 |
明治37年11月29日 | 勲三等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[3] |
明治40年10月11日 | 叙従四位 |
大正1年11月20日 | 叙正四位 |
大正3年1月30日 | 叙従三位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第94号 大正1年11月21日(木曜日)