赤井春海
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- あかい はるみ
- 赤井春海
- 陸軍中将従三位勲一等功五級
- 歩兵
- 士候9 陸大19
- 千葉県士族
- 明治9年6月12日 - 昭和29年12月14日
経歴
明治9年6月12日 | 生[1] |
明治30年11月29日 | 陸軍士官学校卒業(士候9) |
明治31年6月27日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治35年8月9日 | 陸軍大学校入学 |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治40年11月30日 | 陸軍大学校卒業(第19期) |
大正3年8月10日 | 任陸軍歩兵中佐[2] 補歩兵第71聯隊附[2][3] |
大正4年8月10日 | 補名古屋聯隊区司令官[3] |
大正6年8月6日 | 任陸軍歩兵大佐 補歩兵第64聯隊長[4] |
大正7年8月19日 | 陸軍省人事局恩賞課長 |
大正8年7月25日 | 補参謀本部課長(編制動員課) 陸軍技術会議議員被仰付[5] |
大正9年8月10日 | 参謀本部庶務課長 |
大正11年4月1日 | 任陸軍少将・歩兵第4旅団長 |
大正12年8月6日 | 朝鮮軍参謀長 |
大正15年3月2日 | 任陸軍中将[1]・陸軍運輸部長 |
昭和2年7月26日 | 第2師団長 |
昭和5年12月22日 | 待命 |
昭和6年1月22日 | 予備役[1] |
昭和14年4月1日 | 後備役[6] |
昭和29年12月14日 | 死去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章[7] |
大正6年8月30日 | 叙従五位[8] |
大正9年6月25日 | 勲三等瑞宝章 |
大正11年11月1日 | 勲二等瑞宝章(西比利亜地方派遣中ノ功)[9] |
大正15年4月2日 | 叙従四位[10] |
昭和3年4月16日 | 叙正四位 |
昭和5年11月6日 | 勲一等瑞宝章[11] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2370号 大正9年6月26日(土曜日)
- 官報第431号 昭和3年6月6日(水曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 2.0 2.1 官報第609号 大正3年8月11日(火曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第908号 大正4年8月11日(水曜日)
- ↑ 官報第1505号 大正6年8月7日(火曜日)
- ↑ 官報第2093号 大正8年7月26日(土曜日)
- ↑ 官報第3720号 昭和14年6月2日(金曜日)
- ↑ 官報第7036号 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第1526号 大正6年9月1日(土曜日)
- ↑ 官報第3347号 大正12年10月18日(木曜日)
- ↑ 官報第4092号 大正15年4月17日(土曜日)
- ↑ 官報第1158号 昭和5年11月7日(金曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)