那須太三郎
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- なす たさぶろう
- 那須太三郎
- 陸軍少将従四位勲三等
- 憲兵
- 士候9
- 山口県
- 明治7年2月7日 -
経歴
明治7年2月7日 | 生 |
明治30年11月29日 | 陸軍士官学校卒業(士候9) |
明治31年6月27日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治43年6月23日 | 任陸軍憲兵少佐[1] 補弘前憲兵隊長[2][3] |
明治44年8月15日 | 補憲兵練習所長[3][4] |
明治44年11月22日 | 補憲兵副官[4][5] |
大正3年時点 | 朝鮮駐箚憲兵隊長[1] |
大正3年10月15日 | 任陸軍憲兵中佐[6] |
久留米憲兵隊長[7] | |
大正6年1月22日 | 補台湾憲兵隊長[7] |
大正8年7月25日 | 陸軍憲兵大佐・東京憲兵隊長 |
大正11年3月20日 | 浦塩派遣憲兵隊長 |
大正11年7月10日 | 浦塩派遣憲兵隊司令官 |
大正11年11月2日 | 憲兵司令部附被仰付 |
大正12年3月17日 | 羅南憲兵隊長 |
大正12年8月6日 | 陸軍少将・朝鮮憲兵隊司令官 |
大正15年3月2日 | 待命 |
大正15年3月22日 | 予備役 |
昭和8年4月1日 | 後備役 |
昭和12年4月1日 | 退役 |
栄典
明治39年4月1日 | 勲五等双光旭日章 賜金600円 明治三十七八年従軍記章 |
明治44年5月26日 | 勲四等瑞宝章[8] |
大正3年時点 | 従六位 大清帝国三等第一双龍宝星[1] |
大正3年12月21日 | 叙正六位[9] |
大正8年5月30日 | 勲三等瑞宝章 |
大正8年9月10日 | 叙従五位 |
大正12年11月20日 | 叙正五位 |
大正15年4月21日 | 叙従四位(特旨)[10] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月8日(土曜日)
- 官報第2046号 大正8年5月31日(土曜日)
- 官報第2132号 大正8年9月11日(木曜日)
- 官報第3078号 大正11年11月3日(金曜日)
- 官報第3378号 大正12年11月26日(月曜日)
- 官報第3080号 昭和12年4月12日(月曜日)
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 官報第8101号 明治43年6月24日(金曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第8446号 明治44年8月16日(水曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第8529号 明治44年11月24日(金曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正6年9月1日調
- ↑ 7.0 7.1 官報第1340号 大正6年1月23日(火曜日)
- ↑ 官報第8378号 明治44年5月29日(月曜日)
- ↑ 官報第718号 大正3年12月22日(火曜日)
- ↑ 官報第4116号 大正15年5月15日(土曜日)