鈴木元長
ナビゲーションに移動
検索に移動
- すずき もとなが
- 鈴木元長
- 陸軍中将正四位勲二等
- 工兵
- 士候16 砲工高15
- 広島県
- 明治17年8月31日 - 昭和16年7月14日
経歴
明治17年8月31日 | 生 |
明治37年10月24日 | 陸軍士官学校卒業(士候16) |
明治37年11月1日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治42年11月26日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第15期) |
大正2年7月10日 | 東京帝国大学理科大学実験物理学科卒業 |
大正14年5月1日 | 陸軍通信学校教育部長 |
昭和3年3月8日 | 陸軍工兵大佐 |
昭和4年8月1日 | 陸地測量部三角科長 |
昭和7年5月23日 | 澎湖島要塞司令官 |
昭和7年8月8日 | 陸軍少将 |
昭和7年12月7日 | 陸地測量部長 |
昭和11年4月28日 | 陸軍中将・東京湾要塞司令官 |
昭和12年3月1日 | 待命 |
昭和12年3月29日 | 予備役 |
昭和16年7月14日 | 卒去 |
栄典
明治37年12月8日 | 叙正八位[1] |
明治39年4月1日 | 勲六等瑞宝章、賜金180円 明治三十七八年従軍記章[2] |
明治41年3月20日 | 叙従七位[3] |
明治45年2月10日 | 叙正七位[4] |
大正2年5月31日 | 勲五等瑞宝章[5] |
大正6年2月28日 | 叙従六位[6] |
大正9年4月23日 | 勲四等瑞宝章[7] |
大正9年11月1日 | 旭日小綬章、賜金1250円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[8] |
大正11年3月20日 | 叙正六位[9] |
昭和2年4月15日 | 叙従五位[10] |
昭和3年4月21日 | 勲三等瑞宝章[11] |
昭和7年5月16日 | 叙正五位[12] |
昭和9年4月29日 | 勲二等旭日重光章 賜金、昭和六年乃至九年事変従軍記章[13] |
昭和11年6月1日 | 叙従四位[14] |
昭和12年4月28日 | 叙正四位(特旨)[15] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[16] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 官報第6441号 明治37年12月17日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第7418号 明治41年3月23日(月曜日)
- ↑ 官報第8591号 明治45年2月12日(月曜日)
- ↑ 官報第251号 大正2年6月2日(月曜日)
- ↑ 官報第1372号 大正6年3月1日(木曜日)
- ↑ 官報第2316号 大正9年4月24日(土曜日)
- ↑ 官報第2669号 大正10年6月24日(金曜日)
- ↑ 官報第2888号 大正11年3月22日(水曜日)
- ↑ 官報第107号 昭和2年5月11日(水曜日)
- ↑ 官報第394号 昭和3年4月24日(火曜日)
- ↑ 官報第1619号 昭和7年5月26日(木曜日)
- ↑ 官報第2603号 昭和10年9月4日(水曜日)
- ↑ 官報第2823号 昭和11年6月2日(火曜日)
- ↑ 官報第3096号 昭和12年5月3日(月曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)