鈴木莊六

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  • すずき そうろく
  • 鈴木莊六
  • 陸軍大将正二位勲一等功二級
  • 騎兵
  • 士候1 陸大12優等
  • 新潟県平民
  • 元治2年2月19日 - 昭和15年2月20日

経歴

元治2年2月19日
明治23年7月26日 陸軍士官学校卒業(士候1)
明治24年3月26日 陸軍騎兵少尉
明治26年11月27日 陸軍大学校入学
明治27年7月24日 陸軍大学校中退
明治29年2月29日 陸軍大学校復校
明治31年12月27日 陸軍大学校卒業(第12期優等)
明治37年3月6日 第2軍参謀(作戦主任)
明治38年3月1日 陸軍騎兵中佐
明治38年9月27日 第2軍参謀副長
明治39年3月20日 陸軍大学校教官
明治41年1月25日 参謀本部部員陸軍大学校兵学教官[1]
明治41年2月13日 参謀本部作戦課作戦班長
明治41年12月19日 参謀本部課長(作戦課)(兼職如故)[2]
明治42年4月1日 陸軍騎兵大佐
明治43年12月20日 陸軍大学校兵学教官兼同校幹事[3][4]
大正3年8月8日 陸軍少将騎兵第3旅団
大正5年5月2日 陸軍騎兵実施学校
大正6年8月6日 騎兵監
大正7年7月24日 陸軍中将
大正8年3月18日 第5師団
シベリア出兵
大正10年6月15日 第4師団
大正12年8月6日 台湾軍司令官
大正13年8月20日 陸軍大将朝鮮軍司令官
大正15年3月2日 参謀総長
昭和2年9月3日 議定官
昭和5年2月19日 後備役
昭和6年8月6日 在郷軍人会会長(~昭和12年2月23日)
昭和7年7月28日 枢密顧問官
昭和15年2月20日 薨去

栄典

明治25年2月3日 正八位
明治26年12月16日 従七位
明治28年11月18日 明治二十七八年従軍記章
明治29年5月15日 正七位
明治29年3月30日 勲六等単光旭日章
明治34年8月31日 従六位
明治34年10月26日 勲五等双光旭日章
明治35年5月10日 明治三十三年従軍記章[5]
明治38年4月7日 正六位
明治38年11月30日 勲四等瑞宝章
明治39年4月1日 功三級金鵄勲章(年金700円)
勲三等旭日中綬章
明治三十七八年従軍記章[6]
明治42年6月11日 従五位
大正1年8月1日 韓国併合記念章
大正4年11月10日 大礼記念章
大正7年6月29日 勲二等瑞宝章
大正3年7月10日 正五位
大正7年8月30日 従四位
大正9年9月10日 正四位[7]
大正9年11月1日 功二級金鵄勲章(年金1000円)
勲一等旭日大綬章
賜金2600円
大正三年乃至九年戦役従軍記章[8]
戦捷記章[9]
大正9年12月3日 中華民国一等文虎勲章佩用允許
大正10年7月1日 第一回国勢調査記念章[10]
大正11年8月29日 チェコスロバキア共和国菩提樹一枝附戦争十字章佩用允許
大正12年11月30日 従三位
大正15年12月15日 正三位[11]
昭和5年6月16日 旭日桐花大綬章
昭和5年7月24日 ルーマニア王国1916年乃至1918年戦役従軍記念十字章佩用允許[12]
昭和9年4月29日 金杯一個[13]
昭和六年乃至九年事変従軍記章[14]
昭和9年6月1日 従二位
昭和15年2月20日 正二位
昭和15年8月15日 家督相続人鈴木重雄紀元二千六百年祝典記念章[15]

出典