鈴村吉一
ナビゲーションに移動
検索に移動
- すずむら よしいち
- 鈴村吉一
- 陸軍中将正四位勲二等
- 砲兵
- 士候11 砲工高11
- 島根県
- 明治10年6月14日 -
経歴
明治10年6月14日 | 生 |
明治32年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候11) |
明治33年6月22日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治36年12月23日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第11期) |
東京砲兵工廠廠員兼陸軍省兵器局課員 | |
大正7年6月6日 | 補陸軍省兵器局課員 |
大正9年9月13日 | 国聯空軍代表随員[1] |
大正10年7月20日 | 陸軍砲兵大佐 |
大正11年2月8日 | 補陸軍省兵器局工政課長 陸軍技術会議議員被仰付 |
大正13年8月20日 | 補陸軍造兵廠総務部長 |
大正14年7月7日 | 陸軍技術本部第3部長 |
大正15年3月2日 | 陸軍少将 |
昭和5年8月1日 | 陸軍兵器本廠長 |
昭和6年8月1日 | 陸軍中将 |
昭和7年4月11日 | 待命 |
昭和7年4月26日 | 予備役被仰付[2][3] |
栄典
明治33年7月31日 | 叙正八位 |
明治39年4月1日 | 勲六等単光旭日章 賜金400円 明治三十七八年従軍記章[4] |
明治43年7月11日 | 叙従六位 |
大正4年8月10日 | 叙正六位 |
大正9年9月10日 | 叙従五位[5] |
大正14年10月1日 | 叙正五位 |
昭和5年10月15日 | 叙従四位 |
昭和7年5月24日 | 叙正四位(特旨)[6] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[7] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第5124号 明治33年8月1日(水曜日)
- 官報第8116号 明治43年7月12日(火曜日)
- 官報第908号 大正4年8月11日(水曜日)
- 官報第1753号 大正7年6月7日(金曜日)
- 官報第2855号 大正11年2月9日(木曜日)
- 官報第3599号 大正13年8月21日(木曜日)
- 官報. 1925年07月08日
- 官報第3985号 大正14年12月5日(土曜日)
- 官報第1183号 昭和5年12月6日(土曜日)
- ↑ 官報第2436号 大正9年9月14日(火曜日)
- ↑ 官報第1596号 昭和7年4月28日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に昭和7年4月28日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第7036号 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第2434号 大正9年9月11日(土曜日)
- ↑ 官報第1624号 昭和7年6月1日(水曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)