長谷川直敏
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- はせがわ なおとし
- 長谷川直敏
- 陸軍中将正三位勲一等功四級
- 歩兵
- 士候6 陸大19
- 京都府
- 明治6年4月14日 - 昭和22年12月20日
経歴
- 妻ことは陸軍少将八木下純の長女
- 長男泰敏の妻は陸軍中将篠原誠一郎の長女弘子
- 三男熙敏(陸軍少佐)・四男典敏・五男季敏・四女照子
- 長女敏子は陸軍中将篠塚義男に、二女光子は陸軍中将四手井綱正に、三女達子は北里大学教授吉川政市に嫁す
明治6年4月14日 | 生 |
明治28年2月1日 | 陸軍士官学校卒業(士候6) |
明治28年5月22日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治35年8月9日 | 陸軍大学校入学 |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治40年11月30日 | 陸軍大学校卒業(第19期) |
大正1年9月28日 | 任陸軍歩兵中佐[1] 補歩兵第65聯隊附[1][2] |
大正3年8月10日 | 補仙台聯隊区司令官[2] |
大正5年4月1日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第20聯隊長 |
大正6年8月6日 | 第10師団参謀長 |
大正9年5月12日 | 陸軍少将・陸軍中央幼年学校長 |
大正9年8月10日 | 陸軍士官学校予科長 |
大正10年7月20日 | 陸軍士官学校本科長 |
大正12年8月6日 | 陸軍省人事局長 |
大正13年12月20日 | 陸軍中将 |
大正15年3月2日 | 第10師団長 |
昭和3年2月29日 | 近衛師団長 |
昭和4年8月1日 | 東京警備司令官 |
昭和5年12月22日 | 待命 |
昭和6年1月22日 | 予備役 |
昭和11年4月1日 | 後備役[3] |
昭和22年12月20日 | 死去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[4] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[5] |
大正4年4月24日 | 勲三等瑞宝章[6] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[7] |
大正14年1月27日 | 勲二等瑞宝章[8] |
昭和2年2月15日 | 叙正四位[9] |
昭和5年3月15日 | 叙従三位[10] |
昭和5年12月11日 | 勲一等瑞宝章[11] |
昭和6年2月21日 | 叙正三位(特旨)[12] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[13] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 以下の位置に戻る: 1.0 1.1 官報第50号 大正1年9月30日(月曜日)
- ↑ 以下の位置に戻る: 2.0 2.1 官報第609号 大正3年8月11日(火曜日)
- ↑ 官報第2791号 昭和11年4月24日(金曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第822号 大正4年5月1日(土曜日)
- ↑ 官報第1367号 大正6年2月23日(金曜日)
- ↑ 官報第3728号 大正14年1月28日(水曜日)
- ↑ 官報第43号 昭和2年2月23日(水曜日)
- ↑ 官報第967号 昭和5年3月24日(月曜日)
- ↑ 官報第1188号 昭和5年12月12日(金曜日)
- ↑ 官報第1244号 昭和6年2月24日(火曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)