篠塚義男
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- しのづか よしお
- 篠塚義男
- 陸軍中将功二級
- 歩兵
- 士候17 陸大23優等
- 東京都
- 明治17年9月15日 - 昭和20年9月17日自決
経歴
明治17年9月15日 | 生 |
明治38年3月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候17) |
明治38年4月21日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治41年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
明治44年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第23期優等) |
大正13年11月29日 | オーストリア公使館附武官兼ハンガリー公使館附武官 |
昭和2年2月22日 | 近衛歩兵第3聯隊附 |
昭和3年8月10日 | 陸軍歩兵大佐・参謀本部庶務課長 |
昭和6年8月1日 | 歩兵第1聯隊長 |
昭和7年8月8日 | 陸軍歩兵学校教官 |
昭和8年3月18日 | 任陸軍少将 補陸軍歩兵学校附[1] |
昭和8年8月1日 | 資源局事務官被仰付 補陸軍兵器本廠附 |
昭和9年6月4日 | 補資源局事務官 資源局企画部長ヲ命ス 免本職[2] |
昭和10年8月1日 | 資源局事務官被免 補近衛歩兵第1旅団長 |
昭和11年3月7日 | 独立混成第1旅団長 |
昭和11年12月1日 | 陸軍中将 |
昭和12年3月1日 | 陸軍士官学校長 |
昭和13年6月18日 | 第10師団長 |
昭和14年9月7日 | 第1軍司令官 |
昭和16年6月20日 | 軍事参議官兼陸軍士官学校長 |
昭和17年4月1日 | 軍事参議官 |
昭和17年6月2日 | 予備役 |
昭和20年9月17日 | 自決 |
栄典
明治39年4月1日 | 勲六等瑞宝章 賜金180円 明治三十七八年従軍記章[3] |
昭和2年9月6日 | 勲三等瑞宝章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[4] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第211号 昭和2年9月9日(金曜日)
- 官報第1864号 昭和8年3月20日(月曜日)
- 官報第1976号 昭和8年8月2日(水曜日)
- 官報. 1934年06月05日
- 官報第2575号 昭和10年8月2日(金曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』では陸軍省整備局御用掛
- ↑ 陸軍兵器本廠附を免ぜられる
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)