阿津川貞才
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- あつかわ さだとし
- 阿津川貞才
- 陸軍大佐正五位勲三等
- 歩兵
- 士候13
- 京都府士族
- 明治14年3月10日 -
経歴
明治14年3月10日 | 生 |
明治34年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候13) |
明治35年6月23日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治37年8月2日 | 任陸軍歩兵中尉[1] |
明治41年12月21日 | 任陸軍歩兵大尉[1] |
大正7年7月24日 | 任陸軍歩兵少佐 補浜田聯隊区司令部部員[2] |
大正9年12月1日 | 補歩兵第37聯隊大隊長[3] |
大正11年4月1日 | 補堺聯隊区司令部部員[4] |
大正12年8月6日 | 任陸軍歩兵中佐 |
大正14年4月24日 | 歩兵第8聯隊附被仰付 大阪高等学校服務ヲ命ス[5] |
昭和2年3月5日 | 任陸軍歩兵大佐[6] 大阪高等学校服務ヲ免ス 補神戸聯隊区司令官[7] |
昭和4年8月1日 | 待命被仰付[8] |
昭和4年8月31日 | 予備役[9] |
昭和12年4月1日 | 後備役[10] |
栄典
明治35年11月7日 | 叙正八位[11] |
明治38年3月7日 | 勲六等瑞宝章 (明治三十五年台湾中部騒擾の功)[12] |
明治39年4月1日 | 勲五等双光旭日章 賜金350円 明治三十七八年従軍記章[13] |
明治42年3月1日 | 叙正七位[14] |
大正3年4月30日 | 叙従六位[15] |
大正4年4月24日 | 勲四等瑞宝章[16] |
大正8年7月10日 | 叙正六位[17] |
大正13年4月30日 | 勲三等瑞宝章[18] |
大正13年10月1日 | 叙従五位[19] |
昭和4年9月30日 | 叙正五位(特旨)[20] |
昭和18年3月9日 | 旭日中綬章[21] |
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 2.0 2.1 官報第1794号 大正7年7月25日(木曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第2501号 大正9年12月2日(木曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第2898号 大正11年4月4日(火曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第3800号 大正14年4月25日(土曜日)
- ↑ 6.0 6.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和3年9月1日調
- ↑ 7.0 7.1 官報第53号 昭和2年3月7日(月曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第778号 昭和4年8月2日(金曜日)
- ↑ 9.0 9.1 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 10.0 10.1 官報第3117号 昭和12年5月27日(木曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第5805号 明治35年11月8日(土曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第6508号 明治38年3月14日(火曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報号外 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第7701号 明治42年3月2日(火曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第525号 大正3年5月1日(金曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第822号 大正4年5月1日(土曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第2080号 大正8年7月11日(金曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第3505号 大正13年5月2日(金曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第3634号 大正13年10月2日(木曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第842号 昭和4年10月19日(土曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第4848号 昭和18年3月13日(土曜日)