青木宣純
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- あおき のぶずみ
- 青木宣純
- 陸軍中将従三位勲一等功二級
- 砲兵
- 士官生徒3
- 宮崎県
- 安政6年5月19日 - 大正13年12月12日
経歴
安政6年5月19日 | 生 |
明治12年12月22日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治30年10月11日 | 清国公使館附 |
明治32年10月28日 | 任陸軍砲兵中佐 |
明治33年3月29日 | 天津民政長官 |
明治33年7月10日 | 清国駐屯軍参謀 |
明治34年3月11日 | 清国公使館附 |
明治35年4月22日 | 参謀本部部員 |
明治35年12月19日 | 陸軍砲兵大佐・野砲兵第14聯隊長 |
明治36年11月26日 | 北京公使館附 |
明治37年7月21日 | 満洲軍附(北京駐在) |
明治38年1月17日 | 清国公使館附 |
明治40年11月13日 | 陸軍少将 |
大正2年8月22日 | 陸軍中将・旅順要塞司令官 |
大正4年12月27日 | 参謀本部附(支那駐在) |
大正8年8月18日 | 予備役 |
大正11年4月1日 | 後備役 |
大正13年12月12日 | 薨去 |
栄典
明治17年7月8日 | 叙従七位 |
明治24年7月6日 | 叙正七位 |
明治26年11月29日 | 勲六等瑞宝章 |
明治27年12月5日 | 叙従六位 |
明治28年10月18日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 単光旭日章[1] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治30年11月25日 | 勲五等瑞宝章 |
明治32年7月4日 | 大清帝国三等第一双龍宝星佩用允許 |
明治34年10月1日 | 功三級金鵄勲章 勲四等旭日小綬章 |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[2] |
明治36年3月30日 | 叙従五位 |
明治40年12月27日 | 叙正五位 |
大正2年1月30日 | 叙従四位 |
大正3年5月16日 | 勲二等瑞宝章 |
大正4年11月7日 | 賜金六百円 大正三四年従軍記章[3][4] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[5] |
大正7年2月28日 | 叙正四位 |
大正7年9月29日 | 勲一等瑞宝章 |
大正8年9月12日 | 叙従三位(特旨)[6] |
大正9年11月1日 | 賜金800円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[7] |
大正13年12月12日 | 薨去 勲一等旭日大綬章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第4810号 明治32年7月14日(金曜日)
- 官報第2930号 大正11年5月11日(木曜日)