青柳和夫
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- あおやなぎ かずお
- 青柳和夫
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 工兵
- 士候12 砲工高12
- 佐賀県
- 明治13年10月4日 -
経歴
明治13年10月4日 | 生 |
明治32年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治33年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候12) |
明治33年11月26日 | 見習士官ヲ命ス |
明治34年6月25日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治39年12月21日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第12期) |
陸軍兵器本廠附 作戦資材整備会議議員作戦資材整備会議幹事 | |
大正12年1月26日 | 補工兵第4大隊長[1] |
大正13年2月4日 | 陸軍工兵大佐 |
大正13年12月15日 | 電信第2聯隊長 |
大正15年3月2日 | 陸地測量部三角科長 |
昭和4年8月1日 | 陸軍少将・舞鶴要塞司令官 |
昭和5年8月1日 | 待命 |
昭和5年8月29日 | 予備役 |
昭和14年4月1日 | 後備役[2] |
栄典
明治34年10月10日 | 叙正八位[3] |
明治37年2月19日 | 叙従七位[4] |
明治38年8月11日 | 叙正七位[5] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章[6] |
明治43年9月30日 | 叙従六位[7] |
大正4年10月30日 | 叙正六位[8] |
大正7年6月4日 | 中華民国五等文虎勲章佩用允許 |
大正9年1月30日 | 勲四等瑞宝章 |
大正9年11月30日 | 叙従五位[9] |
大正14年12月28日 | 叙正五位[10] |
昭和5年9月26日 | 叙従四位(特旨)[11] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1753号 大正7年6月7日(金曜日)
- 官報第2246号 大正9年1月31日(土曜日)
- ↑ 官報. 1923年01月27日
- ↑ 官報第3720号 昭和14年6月2日(金曜日)
- ↑ 官報第5484号 明治34年10月11日(金曜日)
- ↑ 官報第6188号 明治37年2月20日(土曜日)
- ↑ 官報第6640号 明治38年8月17日(木曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 官報第8185号 明治43年10月1日(土曜日)
- ↑ 官報第976号 大正4年11月1日(月曜日)
- ↑ 官報第2500号 大正9年12月1日(水曜日)
- ↑ 官報第4046号 大正15年2月22日(月曜日)
- ↑ 官報第1138号 昭和5年10月13日(月曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)