靜間知次
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- しずま ともつぐ
- 靜間知次
- 陸軍中将正四位勲二等功五級
- 工兵
- 士候7 砲工高7優等
- 山口県
- 明治9年5月5日 - 大正15年12月7日
経歴
明治9年5月5日 | 生 |
明治29年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候7) |
明治30年1月25日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治32年12月23日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第7期優等) |
明治40年11月13日 | 任陸軍工兵少佐[1] |
明治45年5月21日 | 任陸軍工兵中佐[1] |
大正5年8月18日 | 任陸軍工兵大佐[1] 陸軍技術審査部附兼陸軍技術審査部議員被仰付[2] |
大正7年7月24日 | 補陸軍技術審査部審査官兼陸軍技術審査部議員[3] |
大正7年11月20日 | 浦塩派遣軍司令部附 |
大正8年4月15日 | 補鉄道第1聯隊長[4] |
大正9年7月16日 | 参謀本部附 |
大正9年8月10日 | 任陸軍少将[1] |
大正9年9月13日 | 国聯空軍代表 |
大正12年12月17日 | 参謀本部附 |
大正13年2月4日 | 第17師団司令部附 |
大正13年12月15日 | 陸軍砲工学校長 |
大正14年5月1日 | 任陸軍中将[1] |
大正15年3月2日 | 工兵監 |
大正15年12月7日 | 卒去[5] |
栄典
明治32年12月26日 | 叙従七位[6] |
明治36年2月20日 | 叙正七位[7] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章[8] |
明治41年5月26日 | フランス共和国四等レジオンドヌール勲章佩用允許[9] |
明治43年12月24日 | イタリア王国四等聖マウリッツィオ・ラザロ勲章佩用允許[10] |
明治45年7月10日 | 叙正六位[11] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[12] |
大正4年3月30日 | イタリア王国三等王冠勲章佩用允許[13] |
大正5年9月11日 | 叙従五位[14] |
大正6年3月14日 | ロシア帝国聖ウラジーミル剣附第四等勲章佩用允許[15] |
勲三等瑞宝章 | |
大正9年1月30日 | 旭日中綬章[16] |
大正9年9月10日 | 叙正五位[17] |
大正9年11月1日 | 賜金3700円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[18] 戦捷記章[19] |
大正11年3月25日 | フランス共和国三等レジオンドヌール勲章佩用允許[20] |
大正13年2月23日 | 勲二等瑞宝章[21] |
大正15年時点 | 従四位 ロシア帝国聖アンナ第二等勲章[1] |
大正15年12月7日 | 卒去 叙正四位(特旨)[22] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正15年9月1日調
- ↑ 官報第1217号 大正5年8月19日(土曜日)
- ↑ 官報第1794号 大正7年7月25日(木曜日)
- ↑ 官報第2008号 大正8年4月16日(水曜日)
- ↑ 官報第4297号 大正15年12月18日(土曜日)
- ↑ 官報第4948号 明治32年12月27日(水曜日)
- ↑ 官報第5888号 明治36年2月21日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月8日(土曜日)
- ↑ 官報第7481号 明治41年6月5日(金曜日)
- ↑ 官報第8257号 明治43年12月28日(水曜日)
- ↑ 官報第8718号 明治45年7月11日(木曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第797号 大正4年4月1日(木曜日)
- ↑ 官報第1236号 大正5年9月12日(火曜日)
- ↑ 官報第1872号 大正7年10月29日(火曜日)
- ↑ 官報第2246号 大正9年1月31日(土曜日)
- ↑ 官報第2434号 大正9年9月11日(土曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第2893号 大正11年3月28日(火曜日)
- ↑ 官報第3449号 大正13年2月25日(月曜日)
- ↑ 官報第4289号 大正15年12月9日(木曜日)