高島鞆之助
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- たかしま とものすけ
- 高島鞆之助
- 陸軍中将正二位勲一等子爵
- 草創期
- 鹿児島県華族
- 天保15年11月9日 - 大正5年1月11日
経歴
天保15年11月9日 | 生 |
明治4年7月28日 | 侍従 |
明治5年4月30日 | 侍従番長 |
明治7年5月12日 | 陸軍大佐(初任) |
明治7年5月13日 | 陸軍省第1局副長兼第1局長代理 |
明治8年2月7日 | 陸軍教導団長 |
明治10年2月22日 | 長崎警備隊指揮官 |
明治10年3月28日 | 陸軍少将・別働第1旅団司令長官(西南戦争) |
明治10年10月16日 | 凱旋 |
明治12年2月19日 | 仏独出張 |
明治13年3月29日 | 帰国 |
明治13年4月29日 | 熊本鎮台司令官 |
明治14年2月9日 | 大阪鎮台司令官 |
明治15年2月6日 | 西部監軍部長心得 |
明治16年2月1日 | 陸軍中将・西部監軍部長 |
明治18年5月21日 | 大阪鎮台司令官 |
明治21年5月14日 | 第4師団長 |
明治24年5月17日 | 陸軍大臣 |
明治25年8月8日 | 枢密顧問官 |
明治28年8月21日 | 台湾副総督 |
明治28年9月24日 | 特ニ現役ニ復セシム[1] |
明治28年12月4日 | 帰還 |
明治29年4月2日 | 任拓殖務大臣[2] |
明治29年9月20日 | 兼任陸軍大臣[3] |
明治30年9月2日 | 陸軍大臣 |
明治31年1月12日 | 依願免本官(陸軍大臣) 予備役 |
明治32年2月14日 | 枢密顧問官 |
大正5年1月11日 | 薨去 |
経歴
明治17年7月7日 | 子爵 |
明治19年10月20日 | 叙従三位 |
明治20年11月2日 | 勲一等旭日大綬章 |
明治22年11月25日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治24年6月13日 | 叙従二位[4] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治39年4月1日 | 賜金3000円(明治三十七八年事件ノ功)[5] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[6] |
大正5年1月11日 | 薨去 叙正二位(特旨) 授旭日桐花大綬章[7] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)