鷹司煕通
ナビゲーションに移動
検索に移動
- たかつかさ ひろみち
- 鷹司煕通
- 陸軍少将従一位勲一等公爵
- 歩兵
- 士官生徒2
- 東京都
- 安政2年2月16日 - 大正7年5月17日
経歴
安政2年2月16日 | 生 |
明治8年 | 陸軍士官学校入校 |
明治12年2月1日 | 任陸軍少尉 |
明治22年11月5日 | 東宮武官 |
明治23年2月 | 貴族院議員 |
明治31年10月1日 | 任陸軍歩兵少佐 |
明治35年6月12日 | 侍従武官 |
明治40年11月13日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治43年2月16日 | 任陸軍少将 後備被仰付 |
明治43年 | 侍従職御用掛 |
大正1年 | 侍従職幹事 |
大正1年12月21日 | 任侍従長 叙高等官一等 賜一級俸 内大臣府御用掛被仰付 |
大正4年4月1日 | 退役 |
大正4年4月12日 | 大礼使長官被仰付[1] |
大正4年12月27日 | 任侍従長[2] |
大正7年5月17日 | 薨去 叙従一位(特旨) |
栄典
明治17年7月7日 | 授公爵[3] |
明治18年4月1日 | 叙従四位(特旨)[4] |
明治20年12月26日 | 叙正四位(特旨)[5] |
明治22年11月25日 | 大日本帝国憲法発布記念章[6] |
明治25年5月28日 | 勲六等瑞宝章 |
明治28年6月29日 | 叙正三位 |
明治32年6月30日 | 叙従二位[7] |
明治36年6月30日 | 叙正二位[8] |
明治39年4月1日 | 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[9] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[10] |
大正3年6月18日 | 金杯一箇ヲ賜フ (第一回帝国議会以来議員ノ職ニ在リ其功尠カラス)[11] |
大正4年5月29日 | 勲二等瑞宝章 |
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章[12] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[13] |
大正5年1月19日 | 勲一等旭日大綬章 |
大正7年5月17日 | 薨去 叙従一位(特旨) |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3600号 明治28年7月1日(月曜日)
- 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
- 官報第7993号 明治43年2月17日(木曜日)
- 官報第120号 大正1年12月23日(月曜日)
- 官報第809号 大正4年4月16日(金曜日)
- 官報第847号 大正4年5月31日(月曜日)
- 官報第1038号 大正5年1月20日(木曜日)
- 官報. 1918年05月18日
- ↑ 官報号外 大正4年4月12日(月曜日)
- ↑ 官報第1023号 大正4年12月28日(火曜日)
- ↑ 官報第307号 明治17年7月8日(火曜日)
- ↑ 官報第523号 明治18年4月2日(木曜日)
- ↑ 官報第1351号 明治20年12月28日(水曜日)
- ↑ 官報第1928号 明治22年11月30日(土曜日)
- ↑ 官報第4799号 明治32年7月1日(土曜日)
- ↑ 官報第5998号 明治36年7月1日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
- ↑ 官報第205号 大正2年4月9日(水曜日)
- ↑ 官報第565号 大正3年6月19日(金曜日)
- ↑ 官報第1411号 大正6年4月18日(水曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)