鹿島秀雄
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- かしま ひでお
- 鹿島秀雄
- 陸軍少将
- 工兵
- 士候29
- 愛知県
- 明治29年1月21日 -
経歴
- 東大機械卒
明治29年1月21日 | 生 |
大正6年5月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候29) |
大正6年12月25日 | 任陸軍工兵少尉 |
大正10年4月1日 | 任陸軍砲兵中尉 |
大正15年3月11日 | 任陸軍工兵大尉 |
昭和3年3月24日 | 陸軍砲工学校教官 |
昭和7年8月8日 | 任陸軍工兵少佐 補陸軍技術本部部員兼陸軍科学研究所所員[1] |
昭和10年12月2日 | 補陸軍技術本部仏国駐在官[2] |
昭和11年8月1日 | 任陸軍工兵中佐[3] |
昭和14年2月22日 | 兼任特許局技師[4] |
昭和14年3月9日 | 任陸軍工兵大佐[5] |
昭和15年5月28日 | 免兼官(特許局技師)[6] |
昭和16年6月15日 | 陸軍技術本部研究所所員 |
昭和17年10月15日 | 第4陸軍技術研究所所員 |
昭和18年3月1日 | 任陸軍少将[7] |
昭和18年6月10日 | 補陸軍兵器行政本部教育部長[8] |
昭和18年11月25日 | 兼補陸軍兵器行政本部調査部長[9] |
栄典
昭和6年7月11日 | 勲六等瑞宝章[10] |
昭和11年6月15日 | 叙正六位[11] |
昭和14年4月1日 | 叙従五位[12] |
昭和15年11月10日 | 紀元二千六百年祝典記念章[13] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 官報第1683号 昭和7年8月9日(火曜日)
- ↑ 官報第2676号 昭和10年12月3日(火曜日)
- ↑ 官報第2876号 昭和11年8月3日(月曜日)
- ↑ 官報第3639号 昭和14年2月23日(木曜日)
- ↑ 官報第3652号 昭和14年3月10日(金曜日)
- ↑ 官報第4016号 昭和15年5月29日(水曜日)
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第38号 昭和18年3月1日 陸軍異動通報 (防衛省防衛研究所)」Ref.C12120885000
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第107号 昭和18年6月11日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120890900
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第210号 昭和18年11月25日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120896400
- ↑ 官報第1362号 昭和6年7月15日(水曜日)
- ↑ 官報第2842号 昭和11年6月24日(水曜日)
- ↑ 官報第3742号 昭和14年6月28日(水曜日)
- ↑ 官報第4456号 昭和16年11月14日(金曜日)