齋藤恒
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- さいとう ひさし
- 齋藤 恒
- 陸軍中将正四位勲二等功四級
- 歩兵
- 士候10 陸大19
- 石川県
- 明治10年11月16日 - 昭和28年3月8日
経歴
明治10年11月16日 | 生 |
明治31年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候10) |
明治32年6月27日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治35年8月9日 | 陸軍大学校入学 |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治40年11月30日 | 陸軍大学校卒業(第19期) |
大正7年6月1日 | 関東軍司令部附(吉林督軍顧問) |
大正8年4月15日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正10年5月30日 | 歩兵第11聯隊長 |
大正11年12月6日 | 参謀本部運輸課長 |
大正12年8月6日 | 陸軍少将・歩兵第4旅団長 |
大正13年8月20日 | 陸軍士官学校予科長 |
大正14年5月1日 | 教育総監部附 |
大正14年12月2日 | 関東軍参謀長 |
昭和3年8月10日 | 任陸軍中将・参謀本部附 |
昭和3年11月20日 | 東京湾要塞司令官 |
昭和4年7月1日 | 重謹慎(張作霖爆殺事件) |
昭和4年8月1日 | 待命 |
昭和4年8月31日 | 予備役 |
昭和28年3月8日 | 死去 |
栄典
明治35年2月20日 | 叙従七位 |
大正7年7月15日 | 中華民国四等文虎勲章佩用允許 |
大正8年9月30日 | 勲三等瑞宝章 |
大正12年11月20日 | 叙正五位 |
昭和3年5月29日 | ポーランド共和国ダルシャン・ヴィルッチ・ミリタリ勲章佩用允許 |
昭和3年9月1日 | 叙従四位 |
昭和4年9月30日 | 叙正四位(特旨)[1] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[2] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- 官報第1788号 大正7年7月18日(木曜日)
- 官報第2148号 大正8年10月1日(水曜日)
- 官報第427号 昭和3年6月1日(金曜日)