武藤信義
(Nobuyoshi Mutoから転送)
- むとう のぶよし
- 武藤信義
- 元帥陸軍大将正二位勲一等功一級男爵
- 歩兵
- 士候3 陸大13首席
- 佐賀県
- 明治1年7月15日 - 昭和8年7月27日
経歴
明治1年7月15日 | 生 |
明治25年7月23日 | 陸軍士官学校卒業(士候3) |
明治26年3月13日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治29年12月 | 陸軍大学校入学 |
明治32年12月21日 | 陸軍大学校卒業(第13期首席) |
明治41年12月21日 | 参謀本部欧米課長[1] |
兼陸軍大学校兵学教官[1] | |
明治44年1月26日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正1年12月17日 | 補近衛歩兵第4聯隊長[1] |
大正4年4月10日 | 参謀本部作戦課長 |
大正5年5月2日 | 陸軍少将・歩兵第23旅団長 |
大正7年7月24日 | 参謀本部附(ハルピン特務機関長) |
大正7年11月9日 | オムスク特務機関長 |
大正8年1月15日 | 参謀本部第1部長 |
大正8年7月25日 | 陸軍中将・参謀本部総務部長 |
大正10年5月4日 | 補第3師団長(親補)[2] |
大正11年11月24日 | 参謀次長 |
大正14年5月1日 | 軍事参議官(親補) |
大正15年3月2日 | 任陸軍大将 兼補東京警備司令官(親補)[3] |
大正15年7月28日 | 関東軍司令官 |
昭和2年8月26日 | 補教育総監兼軍事参議官(親補)[4] |
昭和7年5月26日 | 軍事参議官(親補) |
昭和7年8月8日 | 補関東軍司令官(親補) 兼任特命全権大使関東長官(親任)[5] 満洲へ出張被仰付[6] |
昭和8年5月3日 | 元帥 |
昭和8年7月27日 | 薨去 |
栄典
明治26年5月10日 | 叙正八位 |
明治28年10月19日 | 勲六等単光旭日章 |
明治28年11月15日 | 叙従七位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治32年2月20日 | 叙正七位 |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章 |
明治35年5月31日 | 勲五等瑞宝章 |
明治37年3月22日 | 叙従六位 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章 |
明治40年12月27日 | 叙正六位 |
明治44年3月20日 | 叙従五位 |
大正3年5月16日 | 勲三等瑞宝章 |
大正4年11月7日 | 旭日中綬章 大正三四年従軍記章 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章 |
大正5年4月10日 | 叙正五位 |
大正8年9月10日 | 叙従四位 |
大正8年9月30日 | 勲二等瑞宝章 |
大正9年11月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 勲一等旭日大綬章 賜金1500円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[7] 戦捷記章[8] |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[9] |
大正10年9月30日 | 叙正四位 |
大正14年6月1日 | 叙従三位 |
昭和3年7月2日 | 叙正三位 |
昭和3年11月10日 | 大礼記念章 |
昭和5年12月5日 | 帝都復興記念章 |
昭和8年5月3日 | 元帥 |
昭和8年5月15日 | 叙従二位 |
昭和8年7月27日 | 薨去 依勲功特授男爵[10] 叙正二位(特旨) 授旭日桐花大綬章[11] 功一級金鵄勲章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2148号 大正8年10月1日(水曜日)