三浦梧樓
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- みうら ごろう
- 三浦梧樓
- 陸軍中将従一位勲一等子爵
- 草創期
- 山口県
- 弘化3年11月15日 - 大正15年1月28日
経歴
弘化3年11月15日 | 生 |
明治4年2月15日 | 兵部少丞 |
明治4年7月28日 | 陸軍大佐・兵部権大丞 |
明治4年12月14日 | 任陸軍少将・東京鎮台司令長官 |
明治6年7月7日 | 陸軍省第3局長 |
明治8年4月25日 | 兼元老院議官 |
明治9年10月26日 | 広島鎮台司令長官 |
明治10年3月10日 | 征討第3旅団司令長官 |
明治10年10月1日 | 凱旋 |
明治11年11月20日 | 任陸軍中将[1] |
明治11年12月14日 | 西部監軍部長 |
明治15年2月6日 | 陸軍士官学校長 |
明治17年2月16日 | 大山陸軍卿随行 |
明治18年5月21日 | 補東京鎮台司令官 陸軍士官学校御用掛兼勤被仰付候事[2] |
明治19年7月26日 | 補熊本鎮台司令官[3] |
明治19年8月16日 | 休職 |
明治21年11月5日 | 任宮中顧問官 叙勅任官一等 年俸四千円下賜 兼任学習院長[4] |
明治22年7月23日 | 賜一級俸[5] |
明治23年7月10日 | 貴族院議員(子爵議員) |
明治24年9月40日 | 貴族院議員辞職[6] |
明治21年12月25日 | 予備役[1] |
明治25年3月26日 | 依願免兼官[7] |
明治28年7月21日 | 任特命全権公使 叙高等官一等[8] |
明治28年8月17日 | 賜一級俸 朝鮮国駐箚被仰付[9] |
明治28年10月17日 | 帰朝ヲ命ス[10] |
明治28年10月24日 | 免本官(特命全権公使)(閔妃事件)[11]、入獄 |
明治29年1月20日 | 証拠不十分で免訴、出獄 |
明治41年4月1日 | 後備役[12][1] |
明治43年10月14日 | 任枢密顧問官[13] |
大正2年4月1日 | 退役[14] |
大正7年2月18日 | 維新史料編纂会委員被仰付[15] |
大正13年1月22日 | 依願免本官[16] |
大正15年1月28日 | 薨去[17] |
栄典
明治17年7月7日 | 依勲功特授子爵[18] |
明治18年2月10日 | イタリア王国一等王冠勲章佩用允許 ロシア帝国聖アンナ第一等勲章佩用允許 オーストリア=ハンガリー帝国二等フランツ・ヨーゼフ勲章佩用允許 フランス共和国三等レジオンドヌール勲章佩用允許[19] |
明治18年10月5日 | ドイツ国一等王冠勲章佩用允許[20] |
明治19年10月20日 | 叙従三位[21][22] |
明治23年6月30日 | 勲一等瑞宝章[23] |
明治28年7月29日 | 叙正三位[24] |
明治28年11月5日 | 華族令第五条第二項ニ依リ華族ノ礼遇ヲ停止ス[25] |
明治29年1月28日 | 華族ノ礼遇停止ヲ解除ス[26] |
明治44年11月29日 | 叙従二位[27] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[28] |
大正4年4月20日 | 七十歳ノ高齢ニ付御紋付銀杯並ニ酒肴料下賜[29] |
大正4年4月24日 | 旭日大綬章[30] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[31] |
大正5年4月1日 | 金杯一組ヲ賜フ[32] |
大正11年12月11日 | 叙正二位[33] |
大正14年1月14日 | 八十歳ノ高齢ニ付御紋付銀杯並ニ酒肴料下賜[34] |
大正15年1月28日 | 薨去 叙従一位(特旨) 旭日桐花大綬章[35] 帝都復興記念章[36] |
大正15年1月29日 | 幣帛下賜[17] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 2.0 2.1 官報第565号 明治18年5月22日(金曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第921号 明治19年7月27日(火曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第1607号 明治21年11月6日(火曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第1821号 明治22年7月25日(木曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第2479号 明治24年10月2日(金曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第2620号 明治25年3月28日(月曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第3618号 明治28年7月22日(月曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第3644号 明治28年8月21日(水曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第3693号 明治28年10月19日(土曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第3698号 明治28年10月25日(金曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第7458号 明治41年5月9日(土曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第8197号 明治43年10月15日(土曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第203号 大正2年4月7日(月曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第1662号 大正7年2月19日(火曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第3424号 大正13年1月24日(木曜日)
- ↑ 17.0 17.1 17.2 官報第4028号 大正15年1月30日(土曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第307号 明治17年7月8日(火曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第488号 明治18年2月19日(木曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第684号 明治18年10月9日(金曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第994号 明治19年10月21日(木曜日)
- ↑ 22.0 22.1 従四位から従三位に昇叙。
- ↑ 23.0 23.1 官報第2100号 明治23年7月1日(火曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第3625号 明治28年7月30日(火曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第3708号 明治28年11月6日(水曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第3773号 明治29年1月29日(水曜日)
- ↑ 27.0 27.1 官報第8534号 明治44年11月30日(木曜日)
- ↑ 28.0 28.1 官報第247号 大正2年5月28日(水曜日)
- ↑ 29.0 29.1 官報第813号 大正4年4月21日(水曜日)
- ↑ 30.0 30.1 官報第817号 大正4年4月26日(月曜日)
- ↑ 31.0 31.1 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 32.0 32.1 官報第1218号 大正5年8月21日(月曜日)
- ↑ 33.0 33.1 官報第3110号 大正11年12月12日(火曜日)
- ↑ 34.0 34.1 官報第3717号 大正15年1月15日(木曜日)
- ↑ 35.0 35.1 官報第4027号 大正15年1月29日(金曜日)
- ↑ 36.0 36.1 官報第1499号 昭和6年12月28日(月曜日)