下元熊彌
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- しももと くまや
- 下元熊彌
- 陸軍中将従三位勲一等功二級
- 歩兵
- 士候15 陸大23
- 高知県
- 明治15年6月2日 - 昭和20年9月21日自決
経歴
明治15年6月2日 | 生 |
明治36年11月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候15) |
明治37年2月12日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治41年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
明治44年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第23期) |
大正12年3月23日 | 国際聯盟陸軍代表随員[1][2] |
大正13年12月15日 | 任陸軍歩兵大佐 |
大正14年1月15日 | 陸軍歩兵学校附被仰付[3] |
大正14年5月1日 | 陸軍歩兵学校附被免 補陸軍歩兵学校研究部主事兼同校教官[4] |
大正15年7月28日 | 歩兵第5聯隊長 |
昭和3年8月10日 | 陸軍歩兵学校教官 |
昭和5年8月1日 | 任陸軍少将・歩兵第24旅団長 |
昭和7年8月8日 | 陸軍歩兵学校附 |
昭和8年8月1日 | 陸軍歩兵学校幹事 |
昭和9年8月1日 | 任陸軍中将・下関要塞司令官 |
昭和10年3月15日 | 第3師団留守司令官 |
昭和10年12月2日 | 第8師団長 |
昭和12年8月2日 | 待命 |
昭和12年8月23日 | 予備役被仰付 |
昭和12年8月26日 | 第108師団長 |
昭和13年6月23日 | 参謀本部附 |
昭和13年7月21日 | 参謀本部附被免 |
昭和20年9月21日 | 自決 |
栄典
明治37年5月17日 | 叙正八位[5] |
明治38年8月18日 | 叙従七位[6] |
明治43年9月30日 | 叙正七位[7] |
大正4年10月30日 | 叙従六位[8] |
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章[9] |
大正9年11月30日 | 叙正六位[10] |
大正13年12月27日 | 叙従五位[11] |
昭和5年2月1日 | 叙正五位[12] |
昭和9年4月29日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲二等旭日重光章[13] |
昭和9年9月1日 | 叙従四位[14] |
昭和11年10月1日 | 叙正四位[15] |
昭和13年8月10日 | 叙従三位(特旨)[16] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[17] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3192号 昭和12年8月23日(月曜日)
- ↑ 官報第3192号 大正12年3月24日(土曜日)
- ↑ 正式名称は『国際聯盟陸、海、空軍問題常設諮問委員会ニ於ケル帝国陸軍代表者随員』
- ↑ 官報第3719号 大正14年1月17日(土曜日)
- ↑ 官報第3806号 大正14年5月2日(土曜日)
- ↑ 官報第6267号 明治37年5月24日(火曜日)
- ↑ 官報第6648号 明治38年8月26日(土曜日)
- ↑ 官報第8185号 明治43年10月1日(土曜日)
- ↑ 官報第976号 大正4年11月1日(月曜日)
- ↑ 官報第1314号 大正5年12月18日(月曜日)
- ↑ 官報第2500号 大正9年12月1日(水曜日)
- ↑ 官報第3747号 大正14年2月20日(金曜日)
- ↑ 官報第931号 昭和5年2月7日(金曜日)
- ↑ 官報第2295号 昭和9年8月24日(金曜日)
- ↑ 官報第2307号 昭和9年9月7日(金曜日)
- ↑ 官報第2928号 昭和11年10月3日(土曜日)
- ↑ 官報第3482号 昭和13年8月11日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)