中山惇
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- なかやま まこと
- 中山 惇
- 陸軍中将勲一等
- 歩兵
- 士候23 陸大33
- 香川県
- 明治22年4月1日 - 昭和42年1月30日
経歴
明治22年4月1日 | 生 |
明治44年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候23) |
明治44年12月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正7年12月11日 | 陸軍大学校入学 |
大正10年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第33期) |
昭和10年8月1日 | 陸軍歩兵大佐・旭川聯隊区司令官 |
昭和12年8月14日 | 歩兵第49聯隊長 |
昭和14年3月9日 | 陸軍少将・留守第1師団司令部附 |
昭和15年6月10日 | 独立混成第14旅団長 |
昭和17年4月1日 | 陸軍中将・第68師団長 |
昭和18年3月25日 | 補参謀本部附[1] |
昭和19年3月1日 | 待命被仰付[2] |
昭和19年3月2日 | 予備役 |
昭和19年4月20日 | 補留守第3師団長[3][4] |
昭和20年3月31日 | 補西部軍管区兵務部長[4][5] |
昭和20年7月5日 | 補関東軍総司令部附[5][6] |
昭和20年7月16日 | 補第136師団長(親補)[6] |
栄典
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章[7] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[8] |
昭和17年10月10日 | 勲一等瑞宝章[9] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第57号 昭和18年3月25日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120886000
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第38号 昭和19年3月1日 陸軍異動通報 (防衛省防衛研究所)」Ref.C12120903800
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第74号 昭和19年4月20日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120907500
- ↑ 4.0 4.1 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120937900
- ↑ 5.0 5.1 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第152号 昭和20年7月6日 陸軍異動通報 (防衛省防衛研究所)」Ref.C12120962400
- ↑ 6.0 6.1 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第158号 昭和20年7月16日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120963000
- ↑ 官報第1314号 大正5年12月18日(月曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 官報第4731号 昭和17年10月15日(木曜日)