中岡彌高
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- なかおか やたか
- 中岡彌高
- 陸軍中将正四位勲一等功四級
- 砲兵
- 士候13 砲工高13 陸大24
- 岡山県士族
- 明治15年1月1日 - 昭和50年1月21日
経歴
明治15年1月1日 | 生 |
明治34年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候13) |
明治35年6月23日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治40年12月18日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第13期) |
明治42年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
大正1年11月25日 | 陸軍大学校卒業(第24期) |
陸軍砲工学校教官 | |
大正12年8月6日 | 任陸軍砲兵大佐 補野戦重砲兵第7聯隊長[1] |
大正13年8月20日 | 参謀本部戦史課長 |
大正15年3月2日 | 東京警備参謀長 |
昭和3年5月10日 | 仏国在勤帝国大使館附武官 |
昭和3年8月10日 | 陸軍少将 |
昭和5年6月3日 | 兼補陸軍技術本部仏国駐在官陸軍航空本部仏国駐在官[2] |
昭和6年6月11日 | 参謀本部附被仰付 |
昭和6年8月1日 | 野戦重砲兵第1旅団長 |
昭和7年8月8日 | 下関要塞司令官 |
昭和7年12月7日 | 陸軍中将 |
昭和8年8月1日 | 陸軍砲工学校長 |
昭和10年3月15日 | 待命 |
昭和10年3月30日 | 予備役 |
昭和12年8月28日 | 留守第16師団長 |
昭和14年8月9日 | 召集解除 |
昭和50年1月21日 | 死去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章[3] |
大正2年5月31日 | 勲五等瑞宝章[4] |
大正9年9月29日 | 勲三等瑞宝章[5] |
大正12年11月30日 | 叙従五位[6] |
昭和3年9月15日 | 叙正五位[7] |
昭和5年3月24日 | 勲二等瑞宝章[8] |
昭和6年10月31日 | フランス共和国三等レジオンドヌール勲章 ベルギー王国三等レオポルド勲章 イタリア王国戦功十字章[9] |
昭和7年12月15日 | 叙従四位[10] |
昭和10年4月15日 | 叙正四位(特旨)[11] |
昭和13年9月7日 | 勲一等瑞宝章[12] |
昭和15年4月29日 | 旭日大綬章[13] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[14] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 官報第3306号 大正12年8月7日(火曜日)
- ↑ 官報第1027号 昭和5年6月4日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 官報第251号 大正2年6月2日(月曜日)
- ↑ 官報第2449号 大正9年9月30日(木曜日)
- ↑ 官報第3385号 大正12年12月4日(火曜日)
- ↑ 官報第535号 昭和3年10月5日(金曜日)
- ↑ 官報第968号 昭和5年3月25日(火曜日)
- ↑ 官報第1455号 昭和6年11月4日(水曜日)
- ↑ 官報第1796号 昭和7年12月23日(金曜日)
- ↑ 官報第2493号 昭和10年4月27日(土曜日)
- ↑ 官報第3513号 昭和13年9月16日(金曜日)
- ↑ 官報第4586号 昭和17年4月27日(月曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)