中村愛三
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- なかむら あいぞう
- 中村愛三
- 陸軍中将正四位勲一等功四級
- 工兵
- 士官生徒5
- 三重県
- 安政5年2月 - 大正14年10月22日
経歴
- 亀山藩士船橋藤吾の二男、津藩士中村綾郎の養嗣子[1]
安政5年2月 | 生[1] |
明治15年12月25日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治35年6月1日 | 陸軍工兵大佐・工兵会議審査官 |
明治35年12月19日 | 工兵第5大隊長 |
明治37年2月10日 | 第1臨時築城団長 |
明治38年10月3日 | 陸軍少将 |
明治39年9月1日 | 関東都督府工兵部長 |
明治39年11月27日 | 清国駐屯軍司令官 |
明治41年12月21日 | 補交通兵旅団長[2][3] |
明治42年1月14日 | 補陸軍砲工学校長[4][5] |
明治45年4月26日 | 補旅順要塞司令官[6][7] |
大正1年9月28日 | 陸軍中将 |
大正1年12月26日 | 予備役 |
大正10年4月1日 | 後備役[8][9] |
大正14年10月22日 | 死去[1] |
栄典
功五級金鵄勲章 | |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[10] |
明治44年5月26日 | 勲二等瑞宝章[11] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[12] |
大正7年6月18日 | 中華民国二等文虎勲章佩用允許[13] |
大正8年12月15日 | 勲一等旭日大綬章 賜金3300円[14] 戦捷記章[15] |
大正12年時点 | 正四位 ロシア帝国聖スタニスラス第一等勲章 大清帝国二等第一双龍宝星 フランス共和国三等レジオンドヌール勲章 プロイセン王国二等赤鷲勲章[9] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 中村愛三とは - コトバンク
- ↑ 官報第7648号 明治41年12月22日(火曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に11月21日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第7664号 明治42年1月15日(金曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に2月14日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第8654号 明治45年4月27日(土曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に4月27日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第2607号 大正10年4月13日(水曜日)
- ↑ 9.0 9.1 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 大正12年4月1日調
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第8378号 明治44年5月29日(月曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1764号 大正7年6月20日(木曜日)
- ↑ 官報第2366号 大正9年6月22日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)