井上與一郎
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- いのうえ よいちろう
- 井上與一郎
- 陸軍少将従四位勲二等
- 砲兵
- 士候8 砲工高8優等
- 京都府
- 明治8年4月14日 -
経歴
- 東大物理卒
明治8年4月14日 | 生 |
明治29年11月26日 | 陸軍士官学校卒業(士候8) |
明治30年6月28日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治33年12月26日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第8期) |
陸軍砲工学校教官 兼陸軍歩兵学校研究部部員陸軍技術審査部審査官 | |
大正2年8月22日 | 任陸軍砲兵中佐 補陸軍技術審査部審査官 |
兼陸軍技術審査部議員 | |
大正6年12月1日 | 任陸軍砲兵大佐 陸軍技術審査部附兼陸軍技術審査部議員被仰付 |
大正7年1月9日 | 任特許局審理官[1] 叙高等官四等 |
大正7年6月1日 | 補陸軍技術審査部附兼陸軍技術審査部議員 |
東京砲兵工廠御用掛 | |
大正8年4月1日 | 東京砲兵工廠御用掛ヲ免ス 補東京砲兵工廠精器製造所長 |
大正10年7月20日 | 東京砲兵工廠技術課長 |
大正11年8月15日 | 陸軍少将・大阪砲兵工廠技術課長 |
大正12年4月1日 | 陸軍造兵廠大阪工廠長 |
大正13年2月4日 | 陸軍造兵廠火工廠長 |
大正15年3月2日 | 待命 |
大正15年3月22日 | 予備役 |
昭和9年4月1日 | 後備役 |
昭和14年4月1日 | 退役[2] |
栄典
明治39年4月1日 | 勲五等双光旭日章 賜金500円 明治三十七八年従軍記章[3] |
大正6年12月28日 | 叙従五位[4] |
大正15年4月21日 | 叙従四位(特旨)[5] |
大正15年4月26日 | 勲二等瑞宝章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[6] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- 官報第321号 大正2年8月23日(土曜日)
- 官報第1601号 大正6年12月3日(月曜日)
- 官報. 1918年01月10日
- 官報第1749号 大正7年6月3日(月曜日)
- 官報第1794号 大正7年7月25日(木曜日)
- 官報第1997号 大正8年4月2日(水曜日)
- 官報第4101号 大正15年4月28日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に審議官とあるのは誤り。
- ↑ 官報第3720号 昭和14年6月2日(金曜日)
- ↑ 官報第7036号 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第1624号 大正6年12月29日(土曜日)
- ↑ 官報第4116号 大正15年5月15日(土曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)