伊東政喜
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- いとう まさよし
- 伊東政喜
- 陸軍中将従三位勲二等功三級
- 砲兵
- 士候14 砲工高14 陸大24
- 大分県
- 明治14年9月7日 - 昭和34年12月13日
経歴
明治14年9月7日 | 生 |
明治35年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候14) |
明治36年6月26日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治41年12月19日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第14期) |
明治42年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
大正1年11月25日 | 陸軍大学校卒業(第24期) |
大正13年2月4日 | 陸軍野戦砲兵学校教官 |
大正13年12月15日 | 陸軍砲兵大佐・陸軍省軍務局砲兵課長 |
大正15年10月1日 | 陸軍省軍務局兵務課長 |
昭和2年4月1日 | 近衛野砲兵聯隊長 |
昭和3年8月10日 | 砲兵監部部員 |
昭和5年8月1日 | 陸軍少将・野戦重砲兵第1旅団長 |
昭和6年8月1日 | 陸軍野戦砲兵学校教育部長 |
昭和8年8月1日 | 陸軍野戦砲兵学校長 |
昭和9年8月1日 | 陸軍中将・砲兵監 |
昭和11年3月23日 | 第3師団長 |
昭和12年8月2日 | 待命 |
昭和12年8月23日 | 予備役被仰付 |
昭和12年9月3日 | 第101師団長 |
昭和13年11月9日 | 参謀本部附(戦傷) |
昭和14年4月1日 | 召集解除 |
昭和20年3月 | 大分県日田市長(~昭和20年12月) |
日本傷痍軍人会副会長 | |
昭和34年12月13日 | 死去 |
栄典
大正13年12月27日 | 叙従五位[1] |
功五級金鵄勲章 | |
昭和5年2月1日 | 叙正五位[2] |
昭和9年9月1日 | 叙従四位[3] |
昭和9年9月8日 | 勲二等瑞宝章[4] |
功三級金鵄勲章 | |
昭和11年10月1日 | 叙正四位[5] |
昭和14年4月24日 | 叙従三位(特旨)[6] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[7] |
昭和17年2月10日 | 勲一等旭日大綬章(親授式)[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3192号 昭和12年8月23日(月曜日)