刈谷和郎
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- かりや かずお
- 刈谷和郎
- 陸軍少将
- 砲兵
- 士候28 陸大36
- 高知県
- 明治27年12月7日 - 昭和58年2月4日
経歴
明治27年12月7日 | 生 |
大正5年5月26日 | 陸軍士官学校卒業(士候28) |
大正5年12月26日 | 任陸軍砲兵少尉 |
大正10年12月14日 | 陸軍大学校入学 |
大正13年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第36期) |
大正14年8月7日 | 任陸軍砲兵大尉 |
昭和6年8月1日 | 任陸軍砲兵少佐 |
昭和12年8月2日 | 任陸軍砲兵中佐[1] |
昭和14年3月9日 | 陸軍砲兵大佐 |
昭和14年8月1日 | 高射砲第1聯隊長 |
昭和16年7月30日 | 名古屋防空隊司令官 |
昭和16年11月22日 | 防空第15聯隊長 |
第19軍兵器部長[2] | |
昭和19年3月1日 | 陸軍少将 |
昭和19年7月1日 | 補西部軍司令部附[2] |
昭和19年8月8日 | 補西部軍砲兵隊長[3] |
昭和20年4月1日 | 待命被仰付[4] |
昭和20年4月2日 | 予備役被仰付[5] |
昭和58年2月4日 | 死去 |
栄典
昭和15年11月10日 | 紀元二千六百年祝典記念章[6] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 官報第3175号 昭和12年8月3日(火曜日)
- ↑ 2.0 2.1 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第127号 昭和19年7月2日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120913200
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第156号 昭和19年8月9日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120916500
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第75号 昭和20年4月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120938500
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第76号 昭和20年4月2日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120938600
- ↑ 官報第4474号 昭和16年12月5日(金曜日)