勝野正魚
ナビゲーションに移動
検索に移動
- かつの まさな
- 勝野正魚
- 陸軍中将正四位勲二等功五級
- 砲兵
- 士候11 砲工高11優等
- 東京府士族
- 明治13年4月23日 -
経歴
明治13年4月23日 | 生 |
明治32年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候11) |
明治33年6月22日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治35年11月15日 | 任陸軍砲兵中尉[1] |
明治36年12月23日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第11期優等) |
明治37年12月22日 | 任陸軍砲兵大尉[1] |
大正2年1月15日 | 任陸軍砲兵少佐[1] |
大正6年5月2日 | 任陸軍砲兵中佐[1] |
陸軍省兵器局課員兼陸軍省軍務局課員 陸軍技術審査部議員陸軍歩兵学校研究部部員 | |
大正8年3月19日 | 陸軍兵器本廠附被仰付[2] |
大正9年6月18日 | 補山砲兵第2聯隊長[3] |
大正9年8月10日 | 任陸軍砲兵大佐[1] |
大正10年7月20日 | 陸軍砲工学校教官 |
大正13年12月15日 | 陸軍少将・陸軍砲工学校附 |
大正14年5月1日 | 陸軍砲工学校砲兵科長 |
昭和3年12月21日 | 陸軍造兵廠火工廠長 |
昭和5年8月1日 | 任陸軍中将[4] |
昭和6年8月1日 | 待命 |
昭和6年8月29日 | 予備役[4] |
栄典
明治33年7月31日 | 叙正八位[5] |
明治36年2月20日 | 叙従七位[6] |
明治38年2月3日 | 叙正七位[7] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章[8] |
明治43年3月30日 | 叙従六位[9] |
勲四等瑞宝章 | |
大正4年4月20日 | 叙正六位[10] |
大正4年11月7日 | 旭日小綬章 賜金1150円 大正三四年従軍記章[11] |
大正6年9月28日 | ロシア帝国聖スタニスラス第二等勲章佩用允許[12] |
大正9年5月10日 | 叙従五位[13] |
大正9年7月31日 | 勲三等瑞宝章[14] |
大正13年12月27日 | 叙正五位[15] |
大正14年3月20日 | イタリア王国王冠勲章コンメンダトーレ[16] |
昭和5年1月16日 | 叙従四位[17] |
昭和5年4月22日 | 勲二等瑞宝章[18] |
昭和6年9月28日 | 叙正四位(特旨)[19] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[20] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 官報. 1919年03月20日
- ↑ 官報. 1920年06月19日
- ↑ 4.0 4.1 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 官報第5124号 明治33年8月1日(水曜日)
- ↑ 官報第5888号 明治36年2月21日(土曜日)
- ↑ 官報第6483号 明治38年2月13日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 官報第8028号 明治43年3月31日(木曜日)
- ↑ 官報第813号 大正4年4月21日(水曜日)
- ↑ 官報第1189号 大正5年7月18日(火曜日)
- ↑ 官報第1550号 大正6年10月1日(月曜日)
- ↑ 官報第2330号 大正9年5月11日(火曜日)
- ↑ 官報第2400号 大正9年8月2日(月曜日)
- ↑ 官報第374号 大正14年2月19日(木曜日)
- ↑ 官報第3774号 大正14年3月25日(水曜日)
- ↑ 官報第915号 昭和5年1月20日(月曜日)
- ↑ 官報第992号 昭和5年4月23日(水曜日)
- ↑ 官報第1431号 昭和6年10月5日(月曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)