千田嘉平
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- せんだ かへい
- 千田嘉平
- 陸軍少将正三位勲二等功五級男爵
- 歩兵
- 士候5
- 鹿児島県華族
- 明治4年8月28日 - 昭和18年2月18日
経歴
明治4年8月28日 | 生 |
明治27年7月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候5) |
明治27年9月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治38年7月18日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
教育総監部附兼元帥副官陸軍将校生徒試験常置委員[2] | |
明治40年3月15日 | 補近衛歩兵第4聯隊附[2][3] |
明治40年11月13日 | 補近衛歩兵第4聯隊大隊長[3] |
明治45年5月30日 | 任陸軍歩兵中佐[4][1] 補近衛歩兵第2聯隊附[4][5] |
大正2年1月15日 | 補近衛歩兵第4聯隊附[5][6] |
大正2年8月22日 | 補関東都督府陸軍副官[6] |
大正5年7月14日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第16聯隊長 |
大正7年7月24日 | 近衛歩兵第4聯隊長 |
大正9年8月10日 | 陸軍少将・歩兵第19旅団長 |
大正13年2月4日 | 待命 |
大正13年2月26日 | 予備役 |
大正14年7月 | 貴族院議員(男爵議員) |
昭和5年4月1日 | 後備役 |
昭和9年4月1日 | 退役 |
日本競馬会設立委員 | |
軍人援護対策審議会委員 | |
昭和18年2月18日 | 薨去 |
栄典
明治27年10月26日 | 叙正八位[7] |
明治30年12月15日 | 叙従七位 |
明治31年4月30日 | 叙従五位[8] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章 |
明治40年6月13日 | 大韓帝国勲三等八卦章佩用允許 |
明治41年6月17日 | 男爵(襲爵) |
大正3年5月16日 | 勲三等瑞宝章 |
大正4年7月10日 | 叙従四位 |
大正9年9月10日 | 叙正四位[9] |
大正9年11月1日 | 勲二等瑞宝章 賜金1200円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[10] |
大正13年3月25日 | 叙従三位(特旨)[11] |
昭和3年11月10日 | 金杯一箇 |
昭和7年10月1日 | 朝鮮昭和五年国勢調査記念章 |
昭和9年4月2日 | 叙正三位[12][13] |
昭和10年9月21日 | 満洲国皇帝訪日紀念章佩用允許 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和6年4月1日調
- 官報第4341号 明治30年12月18日(土曜日)
- 官報第4448号 明治31年5月2日(月曜日)
- 官報号外 明治39年12月6日(木曜日)
- 官報第7200号 明治40年7月1日(月曜日)
- 官報第539号 大正3年5月18日(月曜日)
- 官報第883号 大正4年7月12日(月曜日)
- 官報号外 昭和3年11月10日(土曜日)
- 官報第2202号 昭和9年5月8日(火曜日)
- 官報第2668号 昭和10年11月22日(金曜日)
- 官報第2866号 昭和11年7月22日(水曜日)
- 千田嘉平 - Wikipedia
- ↑ 1.0 1.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 2.0 2.1 官報第7111号 明治40年3月16日(土曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第7315号 明治40年11月14日(木曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第8683号 明治45年5月31日(金曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第137号 大正2年1月16日(木曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第321号 大正2年8月23日(土曜日)
- ↑ 官報第3401号 明治27年10月27日(土曜日)
- ↑ 従七位より従五位に昇叙。
- ↑ 官報第2434号 大正9年9月11日(土曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第3489号 大正13年4月14日(月曜日)
- ↑ 官報第2177号 昭和9年4月7日(土曜日)
- ↑ 官報第4831号 昭和18年2月22日(月曜日)