古莊幹郎
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- ふるしょう もとお
- 古莊幹郎
- 陸軍大将正三位勲一等功二級
- 歩兵
- 士候14 陸大21首席
- 熊本県
- 明治15年9月14日 - 昭和15年7月21日
経歴
明治15年9月14日 | 生 |
明治35年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候14) |
明治36年6月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治39年11月22日 | 陸軍大学校入学 |
明治42年12月3日 | 陸軍大学校卒業(第21期首席) |
大正12年3月17日 | 参謀本部編制動員課長兼陸軍大学校兵学教官 |
大正12年8月6日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正14年5月1日 | 近衛歩兵第2聯隊長 |
昭和2年5月6日 | 陸軍省軍務局兵務課長 |
昭和2年7月26日 | 陸軍省軍務局軍事課長 |
昭和2年10月14日 | 兼補陸軍通信学校研究部部員 |
昭和3年8月10日 | 陸軍少将・歩兵第2旅団長 |
昭和4年8月1日 | 陸軍省人事局長 |
昭和5年12月22日 | 参謀本部総務部長 |
昭和6年8月1日 | 参謀本部附 |
昭和7年2月4日 | 参謀本部第1部長 |
昭和8年3月18日 | 陸軍中将 |
昭和9年8月1日 | 第11師団長 |
昭和10年9月21日 | 陸軍次官 |
昭和11年3月23日 | 陸軍航空本部附 |
昭和11年8月1日 | 陸軍航空本部長 |
昭和12年8月2日 | 台湾軍司令官 |
昭和12年12月8日 | 兼第5軍司令官 |
昭和13年2月26日 | 免兼職 |
昭和13年9月8日 | 第21軍司令官 |
昭和13年11月9日 | 参謀本部附 |
昭和14年5月19日 | 任陸軍大将 補軍事参議官(親補)[1] |
昭和15年7月21日 | 薨去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
昭和3年9月15日 | 叙正五位 |
昭和3年12月28日 | 金杯一箇[2] |
昭和9年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 |
昭和10年4月15日 | 叙正四位 |
昭和13年5月2日 | 叙従三位 |
昭和15年4月29日 | 功二級金鵄勲章 |
昭和15年7月21日 | 叙正三位(特旨)[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第241号 昭和2年10月15日(土曜日)
- 官報第535号 昭和3年10月5日(金曜日)