名古屋陸軍病院
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陸軍病院長
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
---|---|---|---|---|
吉田迂一 二軍正 | 明治35年3月14日 | 休職 | ||
笠島省吾 二軍正 | 明治35年3月14日 | 明治36年12月24日 | 第2師団軍医部長 | |
森波 繁 二軍正 | 明治36年12月24日 | |||
飯島 茂 二軍正 | 大正2年8月22日 | 第18師団軍医部長 | ||
英 健也 二軍正 | 大正2年8月22日 | 大正7年4月9日 | 第6師団軍医部長 | |
佐分利良民 二軍正 | 大正7年6月1日 | 大正8年11月22日 | 第13師団軍医部長 | |
外垣秀重 二軍正 | 大正8年12月20日 | 大正12年8月6日 | 第17師団軍医部長 | 大正12年6月13日陸軍一等軍医正進級 |
春日健造 二軍正 | 大正12年8月6日 | 大正14年8月7日 | 陸軍軍医学校教官 | 大正13年2月4日陸軍一等軍医正進級 |
石黒大介 一軍正 | 昭和4年8月1日 | 昭和5年8月1日 | 第10師団軍医部長 | |
田邊文四郎 一軍正 | 昭和5年8月1日 | 昭和6年8月1日 | 第3師団軍医部長 | |
齋藤干城 一軍正 | 昭和6年8月1日 | 昭和7年12月7日 | 第12師団軍医部長 | |
鈴木 實 一軍正 | 昭和7年12月7日 | 昭和9年3月5日 | 第11師団軍医部長 | |
朝川猷夫 一軍正 | 昭和10年3月15日 | |||
矢島登美太 軍大佐 | 昭和20年11月29日 | 名古屋陸軍病院附 | ||
杉野耕平 予軍少将 | 昭和20年11月29日 |
附
氏名 | 就任 | 退任 | 次職 | 備考 |
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荻洲郁次郎 三薬剤官 | 明治30年12月3日 | 台南衛戍病院附 | ||
竹内雅休 三軍正 | 大正12年4月1日 | 大正15年3月2日 | 陸軍一等軍医正・豊橋衛戍病院長 | 大正12年6月13日陸軍二等軍医正進級 |
山村武雄 一軍医 | 昭和8年3月18日 | 昭和9年12月10日陸軍三等軍医正進級 | ||
宮本三郎 軍少佐 | 昭和18年6月22日 | 昭和19年10月31日 | 大宮陸軍病院長 | |
山村武雄 予軍少佐 | 昭和19年5月13日 | |||
三須碧水 軍少佐 | 昭和19年8月11日 | |||
小林梯次 軍少佐 | 昭和19年12月13日 | |||
中内重雄 軍少佐 | 昭和20年11月5日 | 広島第1陸軍病院附 | ||
小林 陽 軍少佐 | 昭和20年11月27日 | |||
島田千尋 軍少佐 | 昭和20年11月27日 | |||
矢島登美太 軍大佐 | 昭和20年11月29日 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 : 索引付. 昭和8年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第113号 昭和18年6月22日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120892000
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第5号 昭和20年11月30日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120963500