大久保德明
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- おおくぼ のりあきら
- 大久保德明
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 工兵
- 士官生徒3
- 高知県
- 万延1年8月15日 - 大正6年4月20日
経歴
- 高知県士族大久保幸策三男
- 妻仙は東京府士族望月龍太郎の妹
- 長男正路は陸軍中佐、三女綾、四女富子、七女季子
- 長女郁は陸軍少将石井常造に、二女尚子は陸軍中将石井英橘に、五女明子は陸軍軍医少将春日健造に嫁す
- 六女道子は島根県知事三樹樹三に、八女慶子は陸軍中将鎌田銓一に嫁す
万延1年8月15日 | 生 |
明治8年 | 陸軍幼年学校入 |
明治12年12月22日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治16年2月28日 | 任陸軍工兵中尉[1] |
明治19年10月4日 | 任陸軍工兵大尉[1] |
明治19年10月8日 | 補工兵第1大隊中隊長[2] |
明治21年11月17日 | 補陸軍士官学校教官[3] |
明治26年1月11日 | 兼補陸軍将校生徒試験常置委員[4] |
明治27年5月31日 | 兼補陸軍大学校教官[5] |
明治28年3月23日 | 任陸軍工兵少佐[6][7] |
明治29年2月17日 | 宇品運輸通信部部員被免[8] |
明治29年4月1日 | 兼補臨時陸軍運輸通信部事務官[9] |
明治29年4月23日 | 補臨時陸軍運輸通信部事務官兼陸軍大学校教官[10] |
明治29年4月25日 | 兼補工兵会議議員[11] |
明治30年2月27日 | 兼補陸軍省軍務局課員[12] |
明治30年9月15日 | 専補陸軍省軍務局課員 (兼陸軍大学校教官工兵会議議員如故)[13] |
明治30年9月24日 | 兼補臨時陸軍運輸通信部事務官[14] |
明治30年11月1日 | 台湾陸軍補給廠御用掛兼勤ヲ命ス[15] |
明治31年10月1日 | 任陸軍工兵中佐[16][1] |
明治31年12月28日 | 免兼陸軍大学校教官[17] |
明治32年1月27日 | 補台湾陸軍補給廠宇品支廠長 台湾陸軍補給廠御用掛兼勤ヲ免ス[18] |
明治35年2月1日 | 台湾陸軍補給廠本廠附被仰付[19] |
明治35年5月5日 | 補台湾陸軍補給廠長[20] |
明治35年6月1日 | 任陸軍工兵大佐[21][1] |
明治37年4月1日 | 補陸軍運輸部本部長兼宇品碇泊場司令官[22] |
明治39年7月6日 | 任陸軍少将[1] 補陸地測量部長[23] |
明治40年7月16日 | 御用有之満洲及韓国ヘ被差遣[24] |
明治40年11月2日 | 測地学委員会委員被仰付[25] |
明治41年9月12日 | 御用有之韓国ヘ被差遣[26] |
大正1年12月26日 | 任陸軍中将 補旅順要塞司令官[27] |
大正2年1月27日 | 測地学委員会委員被免[28] |
大正2年8月22日 | 待命被仰付[29] |
大正3年5月11日 | 依願予備役被仰付[30] |
大正5年11月25日 | 高知県から東京府に族籍変更[31] |
大正6年4月20日 | 死去[32] |
栄典
明治20年3月25日 | 叙正七位[33] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[34] |
明治25年7月6日 | 叙従六位[35] |
明治26年11月29日 | 勲六等瑞宝章[36] |
明治28年10月18日 | 勲五等双光旭日章 年金120円[37] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[38] |
明治30年10月15日 | 叙正六位[39] |
明治34年12月28日 | 勲四等旭日小綬章 賜金670円[40] |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[41] |
明治36年12月8日 | フランス共和国三等カンボジア王室勲章佩用允許[42] |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[43] |
明治39年10月1日 | 叙正五位[44] |
明治42年11月25日 | 大清帝国二等第一双龍宝星佩用允許[45] |
明治42年12月18日 | ロシア帝国聖スタニスラス第一等勲章佩用允許[46] |
明治43年8月28日 | 大韓帝国勲二等太極章佩用允許[47] |
明治44年10月20日 | 叙従四位[48] |
大正2年11月28日 | 勲二等瑞宝章[49] |
大正3年6月10日 | 叙正四位(特旨)[50] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 2.0 2.1 官報第985号 明治19年10月11日(月曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第1618号 明治21年11月19日(月曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第2860号 明治26年1月13日(金曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第3276号 明治27年6月2日(土曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第3519号 明治28年3月27日(水曜日)
- ↑ 7.0 7.1 明治45年停年名簿では明治28年3月3日だが明治28年3月27日官報によると明治28年3月23日
- ↑ 8.0 8.1 官報第3793号 明治29年2月24日(月曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第3832号 明治29年4月11日(土曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第3846号 明治29年4月28日(火曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第3848号 明治29年4月30日(木曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第4096号 明治30年3月2日(火曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第4264号 明治30年9月16日(木曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第4271号 明治30年9月25日(土曜日)
- ↑ 15.0 15.1 官報第4304号 明治30年11月2日(火曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第4579号 明治31年10月3日(月曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第4651号 明治32年1月4日(水曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第4671号 明治32年1月28日(土曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第5572号 明治35年2月3日(月曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第5648号 明治35年5月6日(火曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第5671号 明治35年6月2日(月曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第6223号 明治37年4月2日(土曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第6906号 明治39年7月7日(土曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第7214号 明治40年7月17日(水曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第7306号 明治40年11月4日(月曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第7567号 明治41年9月14日(月曜日)
- ↑ 27.0 27.1 官報第124号 大正1年12月27日(金曜日)
- ↑ 28.0 28.1 官報第147号 大正2年1月28日(火曜日)
- ↑ 29.0 29.1 官報第321号 大正2年8月23日(土曜日)
- ↑ 30.0 30.1 官報第534号 大正3年5月12日(火曜日)
- ↑ 31.0 31.1 官報第1336号 大正6年1月18日(木曜日)
- ↑ 32.0 32.1 官報第1425号 大正6年5月4日(金曜日)
- ↑ 33.0 33.1 官報第1124号 明治20年4月2日(土曜日)
- ↑ 34.0 34.1 官報第1948号 明治22年12月24日(火曜日)
- ↑ 35.0 35.1 官報第2707号 明治25年7月7日(木曜日)
- ↑ 36.0 36.1 官報第3131号 明治26年12月5日(火曜日)
- ↑ 37.0 37.1 官報第3693号 明治28年10月19日(土曜日)
- ↑ 38.0 38.1 官報第4030号 明治29年12月3日(木曜日)
- ↑ 39.0 39.1 官報第4289号 明治30年10月16日(土曜日)
- ↑ 40.0 40.1 官報第5613号 明治35年3月25日(火曜日)
- ↑ 41.0 41.1 官報第5820号 明治35年11月26日(水曜日)
- ↑ 42.0 42.1 官報第6149号 明治36年12月29日(火曜日)
- ↑ 43.0 43.1 官報号外 明治39年12月8日(土曜日)
- ↑ 44.0 44.1 官報第6979号 明治39年10月2日(火曜日)
- ↑ 45.0 45.1 官報第7930号 明治42年11月29日(月曜日)
- ↑ 46.0 46.1 官報第7952号 明治42年12月24日(金曜日)
- ↑ 47.0 47.1 官報第8349号 明治44年4月25日(火曜日)
- ↑ 48.0 48.1 官報第8502号 明治44年10月21日(土曜日)
- ↑ 49.0 49.1 官報第402号 大正2年11月29日(土曜日)
- ↑ 50.0 50.1 官報第558号 大正3年6月11日(木曜日)