宇垣一成
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- うがき かずしげ
- 宇垣一成
- 陸軍大将正二位勲一等功四級
- 歩兵
- 士候1 陸大14
- 岡山県
- 慶応4年6月21日 - 昭和31年4月30日
経歴
慶応4年6月21日 | 生[1] |
明治23年7月26日 | 陸軍士官学校卒業(士候1) |
明治24年3月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治30年12月28日 | 陸軍大学校入学 |
明治33年12月20日 | 陸軍大学校卒業(第14期) |
明治42年8月1日 | 教育総監部第1課長 |
明治43年11月30日 | 任陸軍歩兵大佐[2] |
明治44年9月9日 | 補陸軍省軍務局軍事課長[3] |
大正2年8月31日 | 歩兵第6聯隊長 |
大正4年1月25日 | 陸軍省軍務局軍事課長 |
大正4年8月10日 | 陸軍少将・陸軍歩兵学校長 |
大正5年3月24日 | 参謀本部第1部長 |
大正7年11月1日 | 兼参謀本部総務部長 |
大正8年4月1日 | 陸軍大学校長 |
大正8年7月25日 | 陸軍中将 |
大正10年3月11日 | 第10師団長 |
大正11年5月13日 | 教育総監部本部長 |
大正12年10月10日 | 陸軍次官 |
大正13年1月7日 | 陸軍大臣 |
大正14年8月1日 | 任陸軍大将[4][5] |
昭和2年4月20日 | 依願免本官 補軍事参議官 朝鮮総督臨時代理被仰付[6] |
昭和2年10月1日 | 朝鮮総督臨時代理被免 |
昭和4年7月2日 | 任陸軍大臣[7] |
昭和6年4月14日 | 軍事参議官 |
昭和6年6月17日 | 予備役[1] 朝鮮総督 |
昭和9年4月1日 | 後備役[1] |
昭和11年8月5日 | 免本官 特ニ国務大臣タル前官ノ礼遇ヲ賜フ[8] |
昭和12年10月15日 | 内閣参議 |
昭和13年5月26日 | 任外務大臣 |
昭和13年6月25日 | 兼任拓務大臣 |
昭和13年9月30日 | 依願免本官並兼官 特ニ前官ノ礼遇ヲ賜フ |
昭和28年4月24日 | 第3回参議院議員通常選挙当選 |
昭和31年4月30日 | 薨去 |
栄典
明治25年2月3日 | 叙正八位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治31年12月22日 | 叙正七位 |
明治35年11月29日 | 勲五等瑞宝章 |
明治37年3月22日 | 叙従六位 |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[9] |
明治40年12月27日 | 叙正六位 |
明治45年時点 | 勲四等旭日小綬章[2] |
勲三等瑞宝章 | |
大正4年9月10日 | 叙正五位 |
大正4年11月7日 | 旭日中綬章 賜金900円 大正三四年従軍記章[10] |
大正7年9月29日 | 勲二等瑞宝章 |
大正8年9月10日 | 叙従四位 |
大正9年11月1日 | 旭日重光章 賜金3900円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[11] 戦捷記章[12] |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[13] |
大正10年9月30日 | 叙正四位 |
大正13年1月10日 | 叙従三位[14] |
大正13年2月23日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和2年1月15日 | 叙正三位[15] |
昭和2年4月19日 | 旭日大綬章 |
昭和5年2月1日 | 叙従二位[16] |
昭和5年12月5日 | 帝都復興記念章 |
昭和9年4月29日 | 金杯一組[17] 昭和六年乃至九年事変従軍記章 |
昭和11年8月5日 | 旭日桐花大綬章[8] |
昭和13年5月27日 | 叙正二位[18] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[19] |
外国勲章
明治45年時点 | 大韓帝国勲三等八卦章[2] |
大正14年7月11日 | 中華民国二等文虎勲章佩用允許[20] |
昭和6年3月31日 | タイ王国勲一等白象勲章 |
昭和9年時点 | 中華民国二等文虎勲章 ロシア帝国聖アンナ第二等勲章 フランス共和国二等レジオンドヌール勲章[1] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 2.0 2.1 2.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報第8468号 明治44年9月11日(月曜日)
- ↑ 官報第3883号 大正14年8月3日(月曜日)
- ↑ 「昭和9年後備役停年名簿」に大正14年3月28日大将となっているのは誤り。
- ↑ 官報号外 昭和2年4月20日(水曜日)
- ↑ 官報号外 昭和4年7月2日(火曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第2879号 昭和11年8月6日(木曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月4日(火曜日)
- ↑ 官報第1190号 大正5年7月19日(水曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第2858号 大正11年2月14日(火曜日)
- ↑ 官報第3414号 大正13年1月12日(土曜日)
- ↑ 官報第21号 昭和2年1月25日(火曜日)
- ↑ 官報第931号 昭和5年2月7日(金曜日)
- ↑ 官報第2696号 昭和10年12月27日(金曜日)
- ↑ 官報第3430号 昭和13年6月11日(土曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 官報第3868号 大正14年7月15日(水曜日)
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