小磯國昭
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- こいそ くにあき
- 小磯國昭
- 陸軍大将従二位勲一等功二級
- 歩兵
- 士候12 陸大22
- 山形県
- 明治13年3月22日 - 昭和25年11月3日
経歴
明治13年3月22日 | 生 |
明治32年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治33年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候12) |
明治33年11月26日 | 見習士官ヲ命ス |
明治34年6月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治40年12月10日 | 陸軍大学校入学 |
明治43年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第22期) |
大正8年4月15日 | 参謀本部作戦課兵站班長 |
大正10年7月20日 | 陸軍航空部部員(欧洲出張) |
大正11年2月8日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正12年3月17日 | 陸軍大学校兵学教官 |
大正12年8月6日 | 歩兵第51聯隊長 |
大正14年5月1日 | 参謀本部編制動員課長 |
大正15年12月1日 | 陸軍少将・陸軍大学校兵学教官 |
昭和2年7月26日 | 陸軍航空本部総務部長 |
昭和4年8月1日 | 陸軍省整備局長 |
昭和5年8月1日 | 陸軍省軍務局長 |
昭和6年8月1日 | 陸軍中将 |
昭和7年2月29日 | 陸軍次官 |
昭和7年8月8日 | 関東軍参謀長兼関東軍特務部長 |
昭和9年3月5日 | 第5師団長 |
昭和10年12月2日 | 朝鮮軍司令官 |
昭和12年11月1日 | 陸軍大将 |
昭和13年7月15日 | 待命 |
昭和13年7月29日 | 依願予備役被仰付[1] |
昭和14年4月7日 | 拓務大臣(~昭和14年8月30日) |
昭和15年1月16日 | 拓務大臣(~昭和15年7月22日) |
昭和17年5月29日 | 朝鮮総督 |
昭和19年7月22日 | 任内閣総理大臣[2](~昭和20年4月7日) |
昭和23年11月12日 | 極東国際軍事裁判で終身禁固判決 |
昭和25年11月3日 | 巣鴨拘置所で死去 |
栄典
明治34年10月10日 | 叙正八位[3] |
明治37年2月19日 | 叙従七位[4] |
明治38年8月11日 | 叙正七位[5] |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治43年9月30日 | 叙従六位[6] |
大正4年10月30日 | 叙正六位[7] |
大正4年11月7日 | 大正三四年従軍記章[8] |
大正8年10月25日 | 勲三等瑞宝章 |
大正9年11月1日 | 功三級金鵄勲章 旭日中綬章 大正三年乃至九年戦役従軍記章 |
大正9年11月30日 | 叙従五位[9] |
大正14年12月28日 | 叙正五位[10] |
昭和5年11月6日 | 勲二等瑞宝章[11] |
昭和6年1月16日 | 叙従四位[12] |
昭和9年3月15日 | 叙正四位[13] |
昭和9年4月5日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和9年4月29日 | 功二級金鵄勲章 旭日大綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章 |
昭和12年4月1日 | 叙従三位[14] |
昭和13年8月24日 | 叙正三位(特旨)[15] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[16] |
昭和17年3月14日 | 満洲国勲一位龍光大綬章 |
昭和19年8月1日 | 叙従二位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月4日(火曜日)
- 官報第2169号 大正8年10月27日(月曜日)
- ↑ 官報第3472号 昭和13年7月30日(土曜日)
- ↑ 官報号外 昭和19年7月22日(土曜日)
- ↑ 官報第5484号 明治34年10月11日(金曜日)
- ↑ 官報第6188号 明治37年2月20日(土曜日)
- ↑ 官報第6640号 明治38年8月17日(木曜日)
- ↑ 官報第8185号 明治43年10月1日(土曜日)
- ↑ 官報第976号 大正4年11月1日(月曜日)
- ↑ 官報第1314号 大正5年12月18日(月曜日)
- ↑ 官報第2500号 大正9年12月1日(水曜日)
- ↑ 官報第4046号 大正15年2月22日(月曜日)
- ↑ 官報第1158号 昭和5年11月7日(金曜日)
- ↑ 官報第1225号 昭和6年1月31日(土曜日)
- ↑ 官報第2164号 昭和9年3月22日(木曜日)
- ↑ 官報第3073号 昭和12年4月2日(金曜日)
- ↑ 官報第3495号 昭和13年8月26日(金曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)