小野寺重太郎
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- おのでら じゅうたろう
- 小野寺重太郎
- 陸軍中将従三位勲一等功三級
- 砲兵
- 士候2 砲工高4優等 陸大14
- 東京都
- 明治3年11月28日 - 昭和14年2月5日
経歴
明治3年11月28日 | 生[1] |
明治24年7月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候2) |
明治25年3月21日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治29年11月28日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第4期優等) |
明治30年12月28日 | 陸軍大学校入学 |
明治33年12月20日 | 陸軍大学校卒業(第14期) |
明治42年7月14日 | 参謀本部支那課長 |
明治44年11月22日 | 陸軍砲兵大佐 |
大正2年8月22日 | 野砲兵第13聯隊長 |
大正4年8月10日 | 第14師団参謀長 |
大正6年8月6日 | 陸軍少将・陸軍野戦砲兵射撃学校長 |
大正8年4月15日 | 砲兵監部附 |
大正9年8月10日 | 第16師団留守司令官 陸軍技術会議議員被免 |
大正10年7月20日 | 任陸軍中将[1]・第8師団長 |
大正13年2月4日 | 待命 |
大正13年2月26日 | 予備役[1] |
昭和8年4月1日 | 後備役[1] |
昭和12年4月1日 | 退役 |
昭和14年2月5日 | 薨去 |
栄典
明治25年7月6日 | 叙正八位[2] |
明治28年2月13日 | 叙従七位 |
功三級金鵄勲章 勲四等旭日小綬章 | |
大正9年11月1日 | 賜金850円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[3] |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[4] |
大正10年8月10日 | 叙従四位[5] |
大正10年9月30日 | 勲二等瑞宝章 |
大正11年11月1日 | 勲一等瑞宝章 賜金1550円(西比利亜地方派遣中ノ功)[6] |
大正12年11月20日 | 叙正四位[7] |
大正13年3月25日 | 叙従三位(特旨) |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2408号 大正9年8月11日(水曜日)
- 官報第2751号 大正10年10月1日(土曜日)
- 官報第3489号 大正13年4月14日(月曜日)
- 官報第3098号 昭和12年5月5日(水曜日)