小須田勝造
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- こすだ かつぞう
- 小須田勝造
- 陸軍中将
- 砲兵
- 士候19 砲工高17優等
- 長野県
- 昭和19年2月20日 - 昭和52年12月26日
経歴
昭和19年2月20日 | 生 |
明治40年5月31日 | 陸軍士官学校卒業(士候19) |
明治40年12月26日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治43年11月30日 | 任陸軍砲兵中尉 |
明治44年11月27日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第17期優等) |
大正1年9月 | 陸軍派遣学生・東京帝国大学理科大学入 |
大正4年7月 | 東京帝国大学理科大学卒業 |
大正6年8月6日 | 任陸軍砲兵大尉 |
大正12年3月17日 | 任陸軍砲兵少佐 |
大正14年5月1日 | 陸軍造兵廠火工廠十条兵器製造所長 |
昭和2年7月26日 | 任陸軍砲兵中佐 |
昭和5年4月1日 | 補陸軍技術本部米国駐在官 |
昭和6年3月11日 | 陸軍砲兵大佐 |
昭和8年11月1日 | 陸軍造兵廠小倉工廠東京兵器製造所長 |
昭和10年4月1日 | 陸軍造兵廠小倉工廠銃器製造所長 |
昭和10年8月1日 | 陸軍技術本部第3部長 |
昭和10年12月2日 | 陸軍少将 |
昭和11年8月1日 | 陸軍技術本部第1部長 |
昭和13年12月10日 | 陸軍中将・陸軍造兵廠長官 |
昭和15年4月1日 | 陸軍兵器本部次長 |
昭和15年8月30日 | 相模陸軍造兵廠長事務取扱 |
昭和15年9月24日 | 相模陸軍造兵廠長事務取扱被免 |
昭和17年7月1日 | 陸軍兵器本部長 |
昭和17年10月15日 | 陸軍兵器行政本部長 |
昭和18年3月11日 | 待命 |
昭和18年4月15日 | 予備役被仰付 |
昭和18年12月 | 日本製鐵取締役 |
昭和19年8月 | 日本製鐵副社長 |
昭和52年12月26日 | 死去 |
栄典
大正10年6月30日 | 叙従六位[1] |
大正15年8月2日 | 叙正六位 |
昭和9年4月29日 | 勲三等瑞宝章 昭和六年乃至九年事変従軍記章[2] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和4年9月1日調
- 官報第4197号 大正15年8月19日(木曜日)
- 官報第975号 昭和5年4月2日(水曜日)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第71号 昭和18年4月15日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120887400