山田栴二
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- やまだ せんじ
- 山田栴二
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 歩兵
- 士候18
- 宮城県
- 明治20年8月17日 - 昭和52年11月13日
経歴
明治20年8月17日 | 生 |
明治38年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候18) |
明治39年6月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正12年3月17日 | 任陸軍歩兵少佐 |
大正14年12月2日 | 陸軍歩兵学校教官兼同校研究部部員 |
昭和2年7月26日 | 任陸軍歩兵中佐 |
昭和4年3月16日 | 豊橋陸軍教導学校学生隊長 |
昭和7年4月11日 | 任陸軍歩兵大佐・陸軍士官学校予科生徒隊長 |
昭和9年8月1日 | 陸軍士官学校学生部長 |
昭和10年1月22日 | 陸軍士官学校附被仰付 |
昭和11年3月23日 | 仙台陸軍教導学校長 |
昭和11年8月1日 | 陸軍少将 |
昭和12年11月1日 | 歩兵第103旅団長 |
昭和13年11月17日 | 第3独立守備隊司令官 |
昭和14年3月9日 | 陸軍中将 |
昭和14年8月1日 | 東部防衛司令部附[1] |
昭和14年8月30日 | 待命 |
昭和14年8月31日 | 予備役被仰付 |
昭和19年11月27日 | 補仙台陸軍幼年学校長 |
昭和52年11月13日 | 死去 |
栄典
昭和9年12月1日 | 叙正五位[2] |
昭和14年9月28日 | 叙正四位(特旨) |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和3年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和6年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
- 官報. 1935年01月23日
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第246号 昭和19年11月28日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120926200
- 官報第3799号 昭和14年9月2日(土曜日)
- 官報第3827号 昭和14年10月5日(木曜日)
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に昭和14年8月1日東部軍司令部附とあるが、時期的に東部軍は存在しない。東部防衛司令部か
- ↑ 官報第2378号 昭和9年12月4日(火曜日)