影佐禎昭
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- かげさ さだあき
- 影佐禎昭
- 陸軍中将功四級
- 砲兵
- 士候26 陸大35
- 広島県
- - 昭和23年9月10日
経歴
- 東大政治卒、支那駐在
大正3年5月28日 | 陸軍士官学校卒業(士候26) |
大正3年12月25日 | 任陸軍砲兵少尉 |
大正6年11月26日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第23期優等) |
大正9年12月7日 | 陸軍大学校入学 |
大正12年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第35期優等) |
昭和8年7月1日 | 参謀本部支那課支那班長兼陸軍大学校教官 |
昭和9年8月1日 | 上海駐在武官 |
昭和10年8月1日 | 陸軍省軍務局軍事課満洲班長 |
昭和11年8月1日 | 野戦重砲兵第2聯隊附 |
昭和12年8月2日 | 陸軍砲兵大佐・参謀本部支那課長 |
昭和12年11月1日 | 参謀本部謀略課長 |
昭和13年6月18日 | 陸軍省軍務局軍務課長 |
昭和14年3月31日 | 参謀本部附(汪兆銘工作) |
昭和14年9月12日 | 支那派遣軍総司令部附(汪兆銘工作) |
昭和15年4月6日 | 南京政府最高軍事顧問 |
昭和17年5月11日 | 第7砲兵司令官 |
昭和17年12月1日 | 陸軍中将 |
昭和18年6月10日 | 第38師団長 |
昭和20年12月 | 戦犯指名 |
昭和22年5月 | 復員(結核で入院) |
昭和23年9月10日 | 病没 |
栄典
昭和12年9月1日 | 叙従五位[1]
- |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)