木下宇三郎
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- きのした うさぶろう
- 木下宇三郎
- 陸軍中将従三位勲二等功三級
- 砲兵
- 士官生徒9 陸大11
- 熊本県
- 慶応1年9月27日 -
経歴
慶応1年9月27日 | 生[1] |
明治20年7月21日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治25年12月 | 陸軍大学校入学 |
明治27年7月24日 | 陸軍大学校中退 |
明治29年2月29日 | 陸軍大学校復校 |
明治30年12月13日 | 陸軍大学校卒業(第11期) |
明治39年9月1日 | 関東都督府陸軍参謀 |
明治40年11月13日 | 陸軍砲兵大佐・陸軍野戦砲兵射撃学校長 |
明治43年10月1日 | 野砲兵第24聯隊長 |
明治45年1月27日 | 第12師団参謀長 |
大正2年7月3日 | 陸軍少将・台湾総督府陸軍参謀長 |
大正5年1月21日 | 野砲兵第2旅団長 |
大正5年8月18日 | 陸軍砲工学校長 |
大正6年8月6日 | 任陸軍中将[1]・野戦砲兵監 |
大正8年4月15日 | 教育総監部附 |
大正8年8月26日 | 第12師団長 |
大正10年7月20日 | 依願予備役被仰付[1] |
昭和3年4月1日 | 後備役[1] |
昭和7年4月1日 | 退役 |
栄典
明治37年7月12日 | 叙正六位[2] |
大正2年1月30日 | 叙正五位[3] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章 |
大正6年8月30日 | 叙従四位[4] |
功三級金鵄勲章 | |
大正9年11月1日 | 賜金1000円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[5] |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[6] |
大正10年8月19日 | 叙従三位(特旨)[7] |
昭和6年時点 | 勲二等旭日重光章 勲四等瑞宝章 大清帝国二等第二双龍宝星 ロシア帝国聖アンナ第三等勲章[1] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第6313号 明治37年7月16日(土曜日)
- 官報. 1912年01月29日
- 官報第1402号 大正6年4月7日(土曜日)
- 官報第2692号 大正10年7月21日(木曜日)
- 官報第1619号 昭和7年5月26日(木曜日)