村田惇
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- むらた あつし
- 村田 惇
- 陸軍中将従三位勲二等功三級
- 砲兵
- 士官生徒2
- 静岡県
- 嘉永7年10月3日 - 大正6年3月16日
経歴
嘉永7年10月3日 | 生 |
明治8年 | 陸軍士官学校入校 |
明治12年2月1日 | 任陸軍少尉 |
明治27年9月25日 | 第2軍高級副官 |
明治30年10月11日 | 陸軍砲兵大佐・参謀本部副官 |
明治31年5月19日 | 東宮武官[1] |
明治32年4月17日 | 露国公使館附被仰付[2] |
明治35年5月5日 | 陸軍少将 |
明治35年8月15日 | 参謀本部附 |
明治35年12月19日 | 佐世保要塞司令官 |
明治37年6月22日 | 大本営陸軍部幕僚長 |
明治38年12月20日 | 参謀本部附 |
明治39年2月6日 | 韓国統監府附 |
明治42年8月1日 | 陸軍中将・築城部本部長 |
大正3年5月11日 | 待命 |
大正3年8月8日 | 予備役 |
大正6年3月16日 | 薨去 |
栄典
明治24年12月28日 | 叙従六位 |
明治25年5月28日 | 勲六等瑞宝章 |
明治28年7月15日 | 叙正六位 |
明治28年10月18日 | 功四級金鵄勲章 授単光旭日章 |
明治29年11月25日 | 勲五等瑞宝章[3] |
明治30年10月30日 | 叙従五位 |
明治35年9月20日 | 叙正五位 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[4] |
明治40年10月11日 | 叙従四位 |
明治42年4月18日 | 皇太子渡韓記念章[5] |
大正1年11月20日 | 叙正四位 |
大正3年9月1日 | 叙従三位(特旨)[6] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第94号 大正1年11月21日(木曜日)
- 村田惇 - Wikipedia
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治31年12月23日第4師団参謀長とあるのは誤り。
- ↑ 官報第4735号 明治32年4月18日(火曜日)
- ↑ 官報第4027号 明治29年11月30日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
- ↑ 官報第7771号 明治42年5月24日(月曜日)
- ↑ 官報第627号 大正3年9月2日(水曜日)