柴五郎
ナビゲーションに移動
検索に移動
- しば ごろう
- 柴 五郎
- 陸軍大将従二位勲一等功二級
- 砲兵
- 士官生徒3
- 福島県
- 万延1年5月3日 - 昭和20年12月13日
経歴
万延1年5月3日 | 生 |
明治12年12月22日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治33年3月29日 | 清国公使館附 |
明治34年3月11日 | 補参謀本部部員 |
明治34年5月25日 | 参謀本部第4部長事務取扱兼勤被仰付 |
明治34年6月28日 | 野砲兵第15聯隊長 |
明治35年12月19日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治39年3月20日 | 英国大使館附 |
明治40年11月13日 | 陸軍少将 |
明治41年12月21日 | 佐世保要塞司令官 |
明治42年8月1日 | 重砲兵第2旅団長 |
明治44年12月27日 | 参謀本部附(清国出張) |
大正1年9月28日 | 重砲兵第1旅団長 |
大正2年8月22日 | 陸軍中将・下関要塞司令官 |
大正3年5月11日 | 第12師団長 |
大正7年7月2日 | 東京衛戍総督 |
大正8年8月26日 | 陸軍大将 |
大正8年11月1日 | 台湾軍司令官 |
大正10年5月4日 | 補軍事参議官(親補)[1] |
大正11年11月24日 | 待命 |
大正12年3月23日 | 予備役 |
大正15年4月1日 | 後備役 |
昭和5年4月1日 | 退役 |
昭和20年9月15日 | 自決 |
昭和20年12月13日 | 薨去 |
栄典
勲六等瑞宝章 | |
明治28年10月18日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 単光旭日章[2] |
明治34年7月19日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章[3] |
明治35年10月13日 | スペイン王国赤色第二級陸軍有功勲章 ロシア帝国聖アンナ第二等勲章[4] |
明治35年10月28日 | 大不列顚国皇帝皇后両陛下戴冠記念章[4] |
明治36年3月9日 | 大清帝国二等第二双龍宝星[5] |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 明治三十七八年従軍記章 |
明治41年12月11日 | 大英帝国二等ヴィクトリア勲章 |
明治43年5月20日 | 勲二等瑞宝章[6] |
大正2年1月30日 | 叙従四位[7] |
大正4年11月7日 | 賜金800円 大正三四年従軍記章[8] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[9] |
大正7年7月15日 | 中華民国二等文虎勲章 |
大正9年11月1日 | 金杯一組 大正三年乃至九年戦役従軍記章[10] |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[11] |
大正12年4月20日 | 叙従二位(特旨)[12] |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[13] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[14] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和2年4月1日調
- 官報第5304号 明治34年3月12日(火曜日)
- 官報. 1901年05月27日
- 官報号外 明治39年12月7日(金曜日)
- 官報第7643号 明治41年12月16日(水曜日)
- 官報第1788号 大正7年7月18日(木曜日)
- 官報第995号 昭和5年4月26日(土曜日)
- ↑ 官報第2626号 大正10年5月5日(木曜日)
- ↑ 官報第3693号 明治28年10月19日(土曜日)
- ↑ 官報第5414号 明治34年7月20日(土曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第5811号 明治35年11月15日(土曜日)
- ↑ 官報第5950号 明治36年5月6日(水曜日)
- ↑ 官報第8073号 明治43年5月23日(月曜日)
- ↑ 官報第150号 大正2年1月31日(金曜日)
- ↑ 官報第1127号 大正5年5月6日(土曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第3110号 大正11年12月12日(火曜日)
- ↑ 官報第3215号 大正12年4月21日(土曜日)
- ↑ 官報第2995号 昭和11年12月24日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
カテゴリ: