橋本群
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- はしもと ぐん
- 橋本 群
- 陸軍中将勲一等功二級
- 砲兵
- 士候20 砲工高18優等 陸大28優等
- 広島県
- 明治19年10月23日 - 昭和38年12月10日
経歴
明治19年10月23日 | 生 |
明治39年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治41年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候20) |
明治41年12月25日 | 任陸軍砲兵少尉 |
大正1年11月26日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第18期優等) |
大正2年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
大正5年11月25日 | 陸軍大学校卒業(第28期優等) |
昭和2年10月6日 | 任陸軍砲兵中佐 |
昭和4年8月1日 | 参謀本部編制動員課編制班長 |
昭和6年8月1日 | 任陸軍砲兵大佐・野砲兵第1聯隊長 |
昭和8年8月1日 | 参謀本部編制動員課長 |
昭和9年8月1日 | 陸軍省軍務局軍事課長 |
昭和10年10月11日 | 鎮海湾要塞司令官 |
昭和11年3月7日 | 陸軍少将 |
昭和11年8月1日 | 支那駐屯軍参謀長 |
昭和12年8月26日 | 第1軍参謀長 |
昭和13年1月12日 | 参謀本部第1部長 |
昭和14年3月9日 | 陸軍中将 |
昭和14年9月13日 | 参謀本部附 |
昭和14年11月15日 | 待命 |
昭和14年12月1日 | 予備役 |
昭和17年4月13日 | 任別当 叙高等官一等 北白川宮附ヲ命ス[1] |
昭和38年12月10日 | 死去 |
栄典
明治45年3月1日 | 叙従七位 |
昭和8年8月3日 | 勲四等瑞宝章[2] |
昭和14年1月16日 | 勲二等瑞宝章[3] |
昭和15年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 |
功二級金鵄勲章 | |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[4] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第8608号 明治45年3月2日(土曜日)