波多野義彦
ナビゲーションに移動
検索に移動
- はたの よしひこ
- 波多野義彦
- 陸軍中将正四位勲二等功四級
- 砲兵
- 士候5 砲工高6優等 陸大17
- 山口県
- 明治6年8月3日 - 昭和16年7月25日
経歴
明治6年8月3日 | 生[1] |
明治25年12月 | 陸軍士官学校入 |
明治27年7月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候5) |
明治27年9月18日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治31年12月22日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第6期優等) |
明治33年12月10日 | 陸軍大学校ヘ入学ヲ命ス |
明治36年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第17期) |
大正2年7月3日 | 野砲兵第23聯隊長 |
大正5年4月1日 | 陸軍砲兵大佐 |
大正6年8月6日 | 補第13師団参謀長[2] |
大正8年7月25日 | 任陸軍少将 補野砲兵第2旅団長[3] |
大正10年3月28日 | 補陸軍野戦砲兵射撃学校長[4] |
大正11年9月6日 | 陸軍野戦砲兵学校長(改称) |
大正12年8月6日 | 陸軍砲工学校長 |
大正13年2月4日 | 砲兵監 |
大正13年8月20日 | 陸軍中将 |
大正15年3月2日 | 待命 |
大正15年3月22日 | 予備役 |
昭和11年4月1日 | 後備役[5] |
昭和16年7月25日 | 卒去[6] |
栄典
明治28年10月31日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章[7] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[8] |
明治30年12月15日 | 叙従七位[9] |
明治34年2月28日 | 叙正七位[10] |
明治35年11月29日 | 勲五等瑞宝章[11] |
明治38年2月3日 | 叙従六位[12] |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[13] |
明治43年2月21日 | 叙正六位[14] |
大正4年3月20日 | 叙従五位[15] |
大正4年4月24日 | 勲三等瑞宝章[16] |
大正8年9月10日 | 叙正五位[17] |
大正9年11月1日 | 大正三年乃至九年戦役従軍記章[18] |
大正12年12月25日 | 勲二等瑞宝章[19] |
大正13年11月15日 | 叙従四位[20] |
大正15年4月21日 | 叙正四位(特旨)[21] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[22] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 官報第1505号 大正6年8月7日(火曜日)
- ↑ 官報第2093号 大正8年7月26日(土曜日)
- ↑ 官報第2594号 大正10年3月29日(火曜日)
- ↑ 官報第2795号 昭和11年4月30日(木曜日)
- ↑ 官報第4538号 昭和17年2月26日(木曜日)
- ↑ 官報第3708号 明治28年11月6日(水曜日)
- ↑ 官報第3909号 明治29年7月10日(金曜日)
- ↑ 官報第4341号 明治30年12月18日(土曜日)
- ↑ 官報第5295号 明治34年3月1日(金曜日)
- ↑ 官報第5824号 明治35年12月1日(月曜日)
- ↑ 官報第6483号 明治38年2月13日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月8日(土曜日)
- ↑ 官報第7998号 明治43年2月23日(水曜日)
- ↑ 官報第789号 大正4年3月23日(火曜日)
- ↑ 官報第822号 大正4年5月1日(土曜日)
- ↑ 官報第2132号 大正8年9月11日(木曜日)
- ↑ 官報第3008号 大正11年8月10日(木曜日)
- ↑ 官報第3404号 大正12年12月26日(水曜日)
- ↑ 官報第3672号 大正13年11月18日(火曜日)
- ↑ 官報第4116号 大正15年5月15日(土曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)