眞崎甚三郎
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- まさき じんざぶろう
- 眞崎甚三郎
- 陸軍大将正三位勲一等功三級
- 歩兵
- 士候9 陸大19優等
- 佐賀県
- 明治9年11月27日 - 昭和31年8月31日
経歴
明治9年11月27日 | 生 |
明治30年11月29日 | 陸軍士官学校卒業(士候9) |
明治31年6月27日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治35年8月9日 | 陸軍大学校入学 |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治40年11月30日 | 陸軍大学校卒業(第19期優等) |
大正4年5月25日 | 久留米俘虜収容所長 |
大正5年11月15日 | 教育総監部第2課長 |
大正7年1月18日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正9年8月10日 | 陸軍省軍務局軍事課長 |
大正10年7月20日 | 近衛歩兵第1聯隊長 |
大正11年8月15日 | 陸軍少将・歩兵第1旅団長 |
大正12年8月6日 | 陸軍士官学校本科長 |
大正14年5月1日 | 補陸軍士官学校幹事兼同校教授部長[1] |
大正15年3月2日 | 陸軍士官学校長 |
昭和2年3月5日 | 陸軍中将 |
昭和2年8月26日 | 第8師団長 |
昭和4年7月1日 | 第1師団長 |
昭和6年8月1日 | 台湾軍司令官 |
昭和7年1月9日 | 参謀次長 |
昭和7年8月8日 | 兼補軍事参議官(親補)[2] |
昭和8年6月19日 | 任陸軍大将 補軍事参議官(親補)[3] |
昭和9年1月23日 | 補教育総監兼軍事参議官(親補)[4] |
昭和10年7月16日 | 補軍事参議官(親補)[5] |
昭和11年3月6日 | 待命 |
昭和11年3月10日 | 予備役被仰付[6] |
昭和31年8月31日 | 薨去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章 |
大正7年6月29日 | 勲三等瑞宝章 |
大正9年11月1日 | 旭日中綬章 賜金930円 大正三年乃至九年戦役従軍記章 |
大正11年9月11日 | 叙正五位 |
昭和2年4月1日 | 叙従四位[7] |
昭和4年5月2日 | 叙正四位[8] |
昭和7年5月16日 | 叙従三位[9] |
昭和8年7月20日 | 勲一等瑞宝章[10] |
昭和9年4月29日 | 授旭日大綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章[11] |
昭和10年6月1日 | 叙正三位[12] |
昭和10年7月24日 | ペルー国ソレイユ勲章グランオフィシェー佩用允許[13] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[14] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月4日(火曜日)
- 官報第2610号 大正10年4月16日(土曜日)
- ↑ 官報第3806号 大正14年5月2日(土曜日)
- ↑ 官報第1683号 昭和7年8月9日(火曜日)
- ↑ 官報第1939号 昭和8年6月20日(火曜日)
- ↑ 官報号外 昭和9年1月23日(火曜日)
- ↑ 官報第2561号 昭和10年7月17日(水曜日)
- ↑ 官報第2755号 昭和11年3月11日(水曜日)
- ↑ 官報第83号 昭和2年4月12日(火曜日)
- ↑ 官報第771号 昭和4年7月25日(木曜日)
- ↑ 官報第1619号 昭和7年5月26日(木曜日)
- ↑ 官報第1966号 昭和8年7月21日(金曜日)
- ↑ 官報第2696号 昭和10年12月27日(金曜日)
- ↑ 官報第2528号 昭和10年6月8日(土曜日)
- ↑ 官報第2570号 昭和10年7月27日(土曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)