石坂善次郎
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- いしざか ぜんじろう
- 石坂善次郎
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 砲兵
- 士候1 陸大14
- 兵庫県
- 明治4年8月3日 - 昭和24年2月26日
経歴
明治4年8月3日 | 生[1] |
明治23年7月26日 | 陸軍士官学校卒業(士候1) |
明治24年3月26日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治30年12月28日 | 陸軍大学校入学 |
明治33年12月20日 | 陸軍大学校卒業(第14期) |
明治37年3月6日 | 第2軍参謀 |
明治39年2月24日 | 露国差遣 |
明治42年11月30日 | 野砲兵第5聯隊長 |
明治44年11月22日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治45年4月26日 | 第5師団参謀長 |
大正4年4月21日 | 参謀本部附(露軍従軍) |
大正5年8月18日 | 陸軍少将 |
大正6年1月27日 | 補露国大使館附武官 |
大正7年4月25日 | 参謀本部附被仰付 |
大正7年7月24日 | 重砲兵第1旅団長 |
大正8年2月20日 | ハルピン特務機関長 |
大正9年8月10日 | 任陸軍中将[1] |
大正10年3月11日 | 参謀本部附被仰付 |
大正10年4月20日 | 由良要塞司令官 |
大正11年8月15日 | 待命 |
大正12年3月23日 | 予備役[1] |
大正15年 | 靖國神社附属遊就館長 |
昭和6年10月21日 | 依願遊就館長被免[2] |
昭和9年4月1日 | 後備役[1] |
昭和14年4月1日 | 退役[3] |
昭和24年2月26日 | 死去 |
栄典
明治28年10月31日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章[4] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[5] |
明治41年3月9日 | フランス共和国レジオンドヌール勲章オフィシエ |
明治45年5月24日 | 勲三等瑞宝章 |
大正7年7月26日 | 勲二等瑞宝章[6] |
大正9年9月10日 | 叙従四位[7] |
大正9年11月1日 | 旭日重光章 賜金3900円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[8] 戦捷記章[9] |
大正12年4月20日 | 叙正四位(特旨)[10] |
昭和2年2月1日 | ポーランド復興星附コマンドルスキ十字勲章[11] |
昭和9年時点 | ルーマニア王国三等王冠勲章 バイエルン王国四等武功勲章 トルコメジディエ第二等勲章 スペイン王国三等陸軍武功勲章 ロシア帝国聖アンナ第一等勲章 ロシア帝国聖ウラジーミル第三等勲章 フランス共和国クロワ・ド・ゲール勲章[1] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第8679号 明治45年5月27日(月曜日)
- 官報第1345号 大正6年1月29日(月曜日)
- 官報. 1918年04月26日
- 官報第2581号 大正10年3月12日(土曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 官報第1445号 昭和6年10月22日(木曜日)
- ↑ 官報第3720号 昭和14年6月2日(金曜日)
- ↑ 官報第3708号 明治28年11月6日(水曜日)
- ↑ 官報第7031号 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 官報第1796号 大正7年7月27日(土曜日)
- ↑ 官報第2434号 大正9年9月11日(土曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第3215号 大正12年4月21日(土曜日)
- ↑ 官報第29号 昭和2年2月3日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)