東久邇宮稔彦王
(稔彦王から転送)
- ひがしくにのみや なるひこおう
- 東久邇宮稔彦王
- 陸軍大将大勲位功一級
- 歩兵
- 士候20 陸大26
- 皇族
- 明治20年12月3日 - 平成2年1月20日
経歴
明治20年12月3日 | 誕生 |
明治39年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治41年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候20) |
明治41年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治44年12月12日 | 陸軍大学校入学 |
大正3年11月27日 | 陸軍大学校卒業(第26期) |
大正11年7月31日 | 仏陸大卒 |
大正14年8月7日 | 陸軍歩兵大佐 |
昭和3年1月16日 | 第1師団司令部附 |
昭和3年8月10日 | 近衛歩兵第3聯隊長 |
昭和4年12月10日 | 任陸軍少将 参謀本部附被仰付 |
昭和5年8月1日 | 歩兵第5旅団長 |
昭和7年12月7日 | 参謀本部附 |
昭和8年8月1日 | 陸軍中将・第2師団長 |
昭和9年8月1日 | 第4師団長 |
昭和10年12月2日 | 軍事参議官 |
昭和12年8月2日 | 兼陸軍航空本部長 |
昭和13年4月30日 | 第2軍司令官 |
昭和14年1月13日 | 軍事参議官 |
昭和14年8月1日 | 陸軍大将 |
昭和16年12月9日 | 兼防衛総司令官 |
昭和20年4月15日 | 補軍事参議官(親補) |
昭和20年8月17日 | 任内閣総理大臣兼陸軍大臣 特ニ現役ニ列セシム |
昭和20年8月23日 | 免兼官[1] |
昭和20年9月20日 | 待命被仰付 |
昭和20年9月21日 | 予備役被仰付 |
昭和20年10月9日 | 依願免本官 |
平成2年1月20日 | 薨去 |
栄典
大正4年11月10日 | 大礼記念章[2] |
大正6年10月31日 | 叙大勲位授菊花大綬章 |
大正9年11月1日 | 金杯一箇 大正三年乃至九年戦役従軍記章[3] |
昭和5年12月5日 | 帝都復興記念章 |
昭和9年4月29日 | 金杯一組 昭和六年乃至九年事変従軍記章[4] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[5] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第87号 昭和20年4月15日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120939700
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第2号 昭和20年9月30日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120963300
- 官報第1575号 大正6年10月13日(木曜日)
- 官報第886号 昭和4年12月11日(水曜日)
- 官報第1499号 昭和6年12月28日(月曜日)
- 官報. 1945年08月17日
- 官報. 1945年10月09日