立見尚文
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- たつみ なおふみ
- 立見尚文
- 陸軍大将正三位勲一等功二級男爵
- 歩兵
- 三重県
- 弘化2年7月19日 - 明治40年3月7日
経歴
弘化2年7月19日 | 生 |
明治10年6月29日 | 任陸軍少佐(初任) |
明治17年2月10日 | 任陸軍歩兵中佐 |
明治17年2月14日 | 歩兵第1聯隊長 |
明治18年5月27日 | 近衛歩兵第3聯隊長 |
明治19年8月11日 | 小松宮彰仁親王欧洲出張随行 |
明治20年11月16日 | 任陸軍歩兵大佐 |
明治20年12月5日 | 帰朝 |
明治22年3月12日 | 第3師団参謀長 |
明治22年9月11日 | 近衛参謀長 |
明治24年12月14日 | 近衛師団参謀長 |
明治27年6月14日 | 任陸軍少将・歩兵第10旅団長 |
明治29年1月27日 | 参謀本部附被仰付 陸軍大学校長事務取扱被仰付[1] |
明治29年4月1日[2] | 補台湾総督府軍務局長 台湾総督府軍務局陸軍部長兼勤被仰付 |
明治30年11月1日 | 台湾総督府幕僚参謀長 |
明治31年10月1日 | 任陸軍中将・第8師団長 |
明治37年6月7日 | 動員下令(日露戦争) |
明治39年5月29日 | 任陸軍大将 |
明治39年7月6日 | 休職 |
明治40年3月7日 | 薨去 |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[3] |
明治23年1月17日 | 叙従五位 |
明治25年11月29日 | 勲三等瑞宝章 |
明治27年7月20日 | 叙正五位 |
明治28年8月20日 | 男爵 功三級金鵄勲章 旭日中綬章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治30年11月25日 | 勲二等瑞宝章 |
明治31年10月31日 | 叙従四位 |
明治33年3月31日 | 旭日重光章 |
明治35年8月20日 | 叙正四位 |
明治37年11月29日 | 勲一等瑞宝章[4] |
明治38年8月26日 | 叙従三位 |
明治39年4月1日 | 功二級金鵄勲章(年金1000円) 旭日大綬章 明治三十七八年従軍記章[5] |
明治40年3月7日 | 叙正三位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3834号 明治29年4月14日(火曜日)
- 官報第5740号 明治35年8月21日(木曜日)
- ↑ 官報第3773号 明治29年1月29日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に4月14日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第1933号 明治22年12月6日(金曜日)
- ↑ 官報第6426号 明治37年11月30日(水曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)